他人が同一人物かどうかを考える-記憶への依存-

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前回の記事の最後に、以下のような問いかけをして、記事を終了した。

涼宮ハルヒの「エンドレスエイト」で、夏休み(8月17日〜31日の15日間)最後の日が終わると、その期間中の記憶はリセットされ、また17日から全く同じ内容の夏休みを繰り返すのだが、そのループする際、記憶がリセットされる前の自分と、された後の自分は、はたして同一人物なのかどうか、

という問いだ。

その時の記事ではあまり深く追求しなかったので、今回は、そのことをより深く考えていこうと思う。

まず、この同一人物かどうかの問題は、誰が、その対象者(同一人物かどうかの対象となる人物)を判断するかということが重要になってくると思う。

今回は2つのパターンで考えることにする。

・他人が、対象者を判断する。

・自分が対象者で、それを自分で判断する(自分自身が同一人物かどうかを自分で判断する)。

  第1段階

まず、他人が対象者を判断する場合を考えていこう。

 例えば、道端で、数年振りに友人とばったり会ったとする。

その時、その友人が誰であったか、または、今回の記事に寄せた表現にするなら、自分の知っている友人であるかどうか(自分の知っている友人と同一人物かどうか)を判断するためには、自分の過去の記憶から、その友人像を引っ張り出さなければならない。

そして、自分の記憶の中の友人像と、現在目の前にいる友人が一致すれば、その友人の同一性は、他人が判断する限り、保証される。

つまり、他人の同一性は、自分の記憶に依存している。

では、その数年振りに会った友人が、昔と比べて容姿の変化は見られないのだが、その代わりに、人格の方があまりにも変化していたとしたらどうだろうか?

他人が対象者を同一人物かどうか判断する方法として、自分の記憶に依存する、と先述した。

それとはもう一つ、判断する方法がある。

それは、身体が同一かどうか、という判断方法である。

上の例で言えば、あまりにも昔と比べて人格が変化していても、昔の写真などを参照して、身体的変化が見られない場合、

「人格があまりに変化してるけど、容姿は全然変わってないもんな。まあ、久し振りに会ったのだから、その間に人格くらい変わっててもおかしくないよな」

という風に、身体の同一性の方を優先・信用してしまい、その対象者が同一人物だと判断してしまうだろう。

では今度は、人格は昔とそのまま、つまり、自分の記憶とその対象者の記憶が共有可能で、容姿だけが全くの別人になっていたらどうだろう。

 恐らくその場合は、

「まあ・・・数年振りに会ったのだから、その間に整形しててもおかしくないよな」

という風に、記憶(過去の思い出)の方を優先・信用し、対象者の同一性を確保しようとする。

つまり、記憶か、身体か、どちらかが、過去と同一と判断できる可能性が少しでも確保できようものなら、人間は、対象者を同一人物とみなすのだと思う。

第2段階

では今度は、容姿は昔と変化していないが、その対象者の記憶が、まるで違う記憶、極端に言えば、他の誰かの全く知らない記憶と入れ変わっていたらどうだろう。

そんな人間に出くわしたとしたら?

その人間はどうもこちら側を知っているようであるが、こちら側はその目の前の人間が話す思い出話が全く理解できず、出てくる登場人物もまるで知らない。
明らかに、人違いをしているように感じる。

しかし、容姿は自分が知っている友人の容姿をしている。

これは、先述した例、人格が変わってしまった例と同じで、手っ取り早く解決する方法は、

「あー、暫く見ない間に、この人、頭がおかしくなってしまったのか」

と、相手がおかしくなった、と片付ける方法が妥当であるように思う。

自分がおかしくなったと判断するには時期尚早、人間は、なかなか自分の非を認めないものである。

では、1人登場人物を追加してみる。

その頭のおかしくなったと思われる友人と、記憶を共有できる人物が登場したらどうだろう。
因みに自分は、その登場人物をまるで知らない。

その新たな登場人物も、どうやら自分を知っているようである。
目の前の友人と思しき人物は、全く知らない思い出話を、全く知らない人物と仲良く花を咲かせていて、会話はどんどん進行していく。

その時、あなただったらこう思うのではないだろうか。

「あ、人違いだった」

と。

容姿がいくら同一に見えても、記憶が一致しない場合は、その対象者に同一性を見出せない。

つまり、身体的同一より、記憶的同一の方を、人は信用するし、依存するのだと、僕は考えます。

第3段階(まとめ)

ただし、この新たな登場人物、記憶の共有者の出現により、友人を自分の認識違いだと判断し、少しネガティブになっているあなたの肩をポン、と叩く、白衣を着た、なにかしらの博士が現れ、あなたにこう言ったならどうだろう。

「大丈夫。あの2人は、ある地点で記憶の改ざんが行われている。だから、あなたが人違いだと思った友人は、正真正銘、あなたの知っている友人だよ」

と、言われたならあなたは、藁をもすがる思いで、

「そうだったんですね。やっぱりなんかおかしいと思ったんですよ。良かったー!」

と、その話を信じてしまう人もいるのではないだろうか。

つまり、他人が対象者の同一を判断する場合、結局、決めるのは自分自身なのであり、自分次第でどうとでも判断できてしまうのだ。

それはつまり、その対象者(自分以外の他人)が、どこまでいっても、同一人物であるかどうか本当のところ分からない、ということを意味しているのではないだろうか。

だから結局自分頼みになってしまう。
そしてその判断材料になるのは、自分の記憶に依るところが大きい。

というところまでしか、他人が対象者を判断する場合は、僕は言えないと思う。

 

さて、次回の記事では、自分が対象者(同一人物かどうか)になり、それを自分で判断する場合を考えてみようと思う。

それでは。