ハイハイで散歩中

面白いと思ったものをただただ紹介したり、またはただの雑記に成り果てそうです。

ハイハイで散歩中

会話しているように独り言をいう-現実だったり、仮想現実だったり-

僕は家で一人きりの時、結構独り言をいう。あたかも誰かと会話するかのように、機嫌よく喋っている。
それは物心付いた時からの癖で、あまり意識したことはないが、考えごとだったり、なにか頭の中を整理したい時、また、外界から自分を守るためだったり、ストレス発散したい時などに、自然と独り言をいっている気がする。……あまり意識したことはないが。というか、呼吸をする位かなり自然なことなので、敢えて理由を挙げるとすれば上記となる、といった感じだ。
ただ、ネットとかで調べみると、なにやら原因とか学術的に書いてある記事も多く、こういう記事ばっかあるから精神的にまいってしまう人が増えてしまうんではないだろうか、といつも思うが、逆にそれで安心する人もいるのだろうから、なんとも言えないか。僕自身、心配になって調べてしまうこともあるから、それはもう、てへぺろ以外のリアクションは見つからないだろう。
罪と罰の主人公、ラスコーリニコフのように外で歩きながら見境なくぶつくさ言ったりはまだない。
酔っ払って少しいい気分の時は少しガードが緩むのでやばい時もある。と言っても人が周りにいない時に限るが。
やはり、どうしても周りの目は気になる。

この前、電車で隣に座っている老夫婦とおぼしき方々の内、おばあさんが機嫌よく話していて、とある駅でおじいさんだけ降りていってもそのまま延々1人で喋り続けているおばあさんに出くわした時、「はい、事情は理解しました」と、あたかも僕の方が上の立場になって、その人を見下している自分がいて、本当は何もその人のことを理解してないし、事情なんて把握できるわけはないのに、偉そうにマウントを取る僕は、やはり浅はか過ぎる。
僕は自意識過剰で、そのせいで疲弊してしまうこともあるので、できるだけ周りを気にせず、自分が正しいと思う世界を生きていきたいと常々思ってはいるのだが、中々難しく、思うようにいかないな、というのの繰り返しだが、そのおばあさんはもしかしたら僕の理想とする人なんではないだろうか、と思ったり、いや、だがやはり、そうは思い切れない自分がまた顔を出し、なんというか、1人が好きと言いながら、結局寂しくなって他人を求めてしまう凡人な僕には、やはり、難しいだろう。とか思ってしまう。
でも、そのおばあさんは、達観している仙人よりも、真の仙人、いや圧倒的に尊ぶべき人物なのではないだろうか。
たとえ仙人とて、達観していようとて、相手や周りのことを見下し(達観するというのは上から見下ろすのだろうから)、洞察し、とてもプライドの高い人物だろうと思う。
そのような人物と比べたら、そのおばあさんは、周りをもはや気にならなくなり、自分の世界に没入しているのだから、もしかしたらひとり、(周りの人間から見れば)仮想現実を過ごしているのではないだろうか。
周りの人間と同じ世界を生きているようで、異次元にその人はいて、その人はその自分で作り上げた世界を疑うことなく、その世界で一喜一憂する。自分が作り上げた人物に嬉々とすることもあれば、憤ることもある。
だが、いくらその人が他人に感情をぶつけようとも、現実世界の人間には、なんのこっちゃ分からない。僕のすぐ隣にいるのに、交れない。ゆえに、究極的に干渉されることはない。
それは、僕が尊敬すべき人物なのではないだろうか。
赤ちゃんが可愛く思えたり、ペットの犬とかに癒される気持ちになるのは、他人を干渉しない、気にしない、その純真無垢性をこちら側が見出すからではないだろうか。そのような場所は居心地がいい。
もし、そのおばあさんにその純真無垢性を見出せたなら、僕にとって究極的に接しやすい人物になりえるかもしれない。
だがしかし、居心地はいいかもしれないが、わがままな僕にとってはやはり厳しいかもしれない。なぜなら、僕がもしその人に興味を持ってしまって、その人と距離を縮めたいと思った時、その際に立ちはだかるインタラクティブの不可能性を前に絶望しそうだからである。
やはり、僕は時おり他人を疎ましく思いながら、他人に認識されたい、そんな厄介な人物なんだろう。
しかし、自分が作り上げた仮想現実をリアルだと思い込み、周りの人間の反応も全て自分が作りあげ、あたかもインタラクティブできると信じて疑わず、その世界で人生を全うするというのは、果たして楽しいのだろうか。
あくまで自分で作りあげている以上(そのことを自分が忘れていようと)、予定調和感は拭えないだろう。そんな世界に生きて果たして……。
しかしよく考えてみたら、僕達が生きている現実の世界だって、独自に作りあげた仮想現実とどこが違うというのだ。
結局のところ、みんな思い込みで生きているに違いない。たとえ、予想外のことが起こったとしても、それが自分の思い込みではないとどうやって証明することができよう。
どうやったらその世界から出られるのか。
出られたと思ってもそれが思い込みの可能性もある。
結局は独り言の世界、なのだろうか。
現実と仮想現実。
現実と夢。
夢の本質は、夢をみている時はそれが夢だと自覚できないことと、その夢から覚めれることだとしたら、仮想現実とは、その世界から覚めれることが、現実世界との違いなのか。
うーむ。

ぼそぼそと、独り言のような記事になってしまった。

終わりです。

あざした。