ハイハイで散歩中

面白いと思ったものをただただ紹介したり、またはただの雑記に成り果てそうです。

ハイハイで散歩中

生駒ちゃんの卒業や、「熱波」からのベビレ卒業、「めちゃイケ」や「みなおか」の終了のことなど。

いやー、GW。GW。GetaWay、GetaWay、地の果てまで~♪なんて、かつてメディアに出ていた、綺麗な顔立ちの女性シンガー、上木彩矢の「ピエロ」を懐古する今日この頃である。(因みに本来なら「GetAway」と表記するところだが、発音的に「Way」を強調すると思われること、また「GW」に寄せなければならないことから、「GetaWay」表記にしている。こんな野暮な説明をしなければならないのなら、もっと良い「GW」になる単語があったのではないかという気もしないではないが、無性に「上木彩矢」というワードを出したくなったので、以上に至る、といったところでしょうか。)

先日、「乃木坂工事中」という番組で、生駒ちゃん卒業に際し、生駒ちゃんに、代表してメンバーの何人かが感謝のメッセージを送るという趣旨の放送があった。
そして番組最後に、番組MCのバナナマンと生駒ちゃんの3ショットトークがあり、その中で、卒業に対する思いや、未来のことなどをバナナマンに向けて話していた。
その話しを観ていて一番に思ったことは、「無茶苦茶しっかりしてる」、ということであった。
恐らく普段からちゃんと物事を考えているんだろうなと思わせる、説得力のある、堂々とした、ちゃんとした意見を言っているように見えた。
僕は過去、番組中に時々垣間見える生駒ちゃんのお姉さん的振る舞いが中々受け入れられなかったが、その時の生駒ちゃんのトークは、もっと話しを聞きたくなるほどに、普通にその3人の話しを楽しんでいる自分がいた。
生駒ちゃんの話しはとても筋が通っていて、納得のいく話し方だった。

例えば卒業理由の話の時、

「アイドルというのは成長過程を見せるコンテンツだと思うが、舞台など色々他でお仕事させていただく中で、『本物』になりたいと思ってしまった」

という旨の話しは、ハッとさせられたし、説得力のある内容だった。

僕は生駒ちゃん推しではなかったが、これからの生駒ちゃんの未来を応援したくなった回であった。

卒業といえば、少し前になるが、テレビ埼玉で放送していた、ハライチ岩井がMCの番組「熱波」から、レギュラーで出演していたベイビーレイズJAPANが卒業した。
ベビレは、2017年4月からレギュラーになり、翌年2018年3月いっぱいまで、MC岩井と共に番組を務めた。
僕にとって、これといって、なにが面白いという番組ではなかったが、なにせベビレメンバー全員のレギュラー番組が「熱波」くらいしかなかったので(あとはもう終了したが「浅草ベビ(うず)9」くらい)、虎ガー(ベビレファン)の僕にとっては、貴重な番組だったし、ハライチ岩井も嫌いではなかったので、観ない理由はなかった。
ベビレ出演最終回は、とても感動的な終わりに思えた。
最終回は前編・後編と2週に渡って放送していたが、始まりから終わる間際まで、岩井もベビレも微塵も悲しむ素振りを見せず、むしろ終わることをネタにし笑いに昇華していたくらいで、僕にとってそれはとても好感が持てた。
そして、ある意味それが伏線となって、番組が終わる間際に、岩井からベビレへメッセージを贈るという卒業演出が、やっと、「あー、本当に卒業するのか。もう岩井とベビレの組み合わせは見られなくなるのか」という感傷的な雰囲気を作り上げていた。
それでも、岩井は、ユーモアを交え、芸人という職業を全うしながら、メンバーひとりひとりにメッセージを贈っていた。
その時から萌芽はあったと思うが、個人個人にメッセージを贈り終え、最後に、メンバー全体にメッセージを贈る段になり、岩井が少し恥ずかしそうに、しかし真面目な口調で、「ベビレが頂点に行かなかったらアイドル業界は終わりだな」とぐっとくる発言をした後、岩井がいやにヘラヘラ笑いながら話し始めているなと思った時、メンバーの高見が「泣かないでー」と茶化す感じのガヤを入れたことによって、「あ、泣きそうなのか、やっぱり岩井は寂しいのか」と、視聴者は岩井の熱さに気づくことできた。
そして番組全体に熱い感動的な色が帯び始めた頃、この番組のオープニング曲である、ベビレの楽曲「僕らはここにいる」のイントロがBGMとしてフェードインしてくる。
通常回なら、番組冒頭にタイトルバックと共に流れるのだが、今回は、番組の最後に締めとして、全員で「熱波~!」とタイトルコールをして、いきなり画面が切り替わった刹那、先ほどまでのBGMからエンディング曲に変貌を遂げた「僕らはここにいる」のサビが流れ、そして一拍置いたあと、タイトルバック「熱波」の文字が画面にズドンと出現し、それはまさにベビレに相応しい、「エモい」終わり方になっていた。
そして、最後のカットで、番組収録が終わったと思われるオフショットが流れていて、実はまなっちゃんが泣きそうになっていたことや、りこぴんや高見はバラエティ担当の意地か、最後まで全く泣く素振りを見せなかったことなどが確認でき、ベビレのバランスの取れたチーム感を見れた気がして、なんだか良かった。
というただの番組を観終えた感想である。

 「熱波」は、ベビレが卒業しただけで、番組自体は終了したわけではないが、番組自体終了してしまったバラエティ番組もある。
例えば、「めちゃイケ」や、「とんねるずのみなさんのおかげでした」である。
とりわけその2つの番組に思い入れがあるわけではないし、最近では全く観ていなかったので、番組が終了して、「あーそうか。終わってしまったか」という感想と、学生時代は観ていたりいなかったりしていた番組で、まあ当たり前のようにあった番組なので、少なからずの喪失感というか、少なからずのショックの念はあった、という感じだ。
僕が思うに、「笑い」中心のバラエティー番組というものは、そもそも長く続けるのがとても難しいのではないかと思う。
笑いを作る上で必要なものは、「新鮮さ」「鮮度」「予想外」などだと思う。
そして、あらかじめ笑わせると分かっている、お笑い芸人や、お笑い番組は、上記で挙げた、笑わせるという「予想外」が封殺されてしまっていて、最初の段階でとてもハードルが上がっていることになる。
残るは、どうやって、「新鮮さ」、「鮮度」のある笑いを生み出すかということで、その方法で観客(視聴者)と闘わなければならない。
だが、「新鮮さ」や「鮮度」ある笑いを生み出せたとしても、それを受けた者は、その受けた瞬間からその「新鮮さ」の「鮮度」は失われていく。
だから、「笑い」というのはそもそも短命であって、それ中心のバラエティ番組となると、長く続けるのは中々難しいのではないかと思う。
「めちゃイケ」などは、番組を続けるために、新しい、時代の先をいくような企画をかなり生み出していたと思う。
そして、とんねるずの番組もすごいのだが、「土曜20時はめちゃイケ」、「木曜21時はみなおか」、という風に、視聴者にそのようなイメージを植え付けさせたことは、かなりの功績なのではないだろうか。
だから、番組が終わってしまって悲しむというよりは、ここまで長く続けたそのこと自体を賞賛するべきなのだと思う。

最近のバラエティ番組で僕が面白いと思うのは(と言ってもたまにしか観ていないが)、「水曜日のダウンタウン」で、かなり攻めている番組作りだと思う。
ただ、笑いの域を出てこちらが不快になるようなものや、「斬新さ(クレームに対する皮肉なども含む)」のみを追求していて、視聴者を先導するというよりは、置いてけぼりにしている企画もあり、手放しでは賞賛はできない。
だが、それでも僕が興味を持ってしまうのは、企画によっては、SF的なものや、哲学的な思考を喚起させるものがあるからで、「笑える」というよりは、「興味深く面白い」といった感じだ。
そう、「水曜日のダウンタウン」は、笑い中心というよりも、企画の面白さが際立っている。
僕は、今後のバラエティ番組は、笑わせる笑い中心ではなく、あくまで笑いは、「ツール(道具)」として、いわゆる「ユーモア」としての役割にした方がよいのではないかと思う。
だがこれは、あくまで、その番組にさほど興味を持っていない、興味を持っていなくてもなんとなくその番組を観てしまう人がいる、「地上波」での話だ。
本当に笑いだけを追求したいなら、Amazonプライムだったり、独自の動画プラットフォームでもいいが、そのようなネット配信での有料コンテンツとしてやればいいと思う。
「地上波」でやってしまうと、変な、お門違いなクレームがきてしまったりするので、非常に面倒だろう。
それならば、その番組を観たくて観に来ている人に向けて番組を作ったほうが、お互いにとって良い結果をもたらすのでなないかと思う。
決して「笑い」が不要と言っているのではない。「笑い」、「ユーモア」はありとらゆる場面で絶対必要なものだ。
ただ、あくまで「ツール(道具)」としての方が、本質的に、「笑い」、「ユーモア」の居場所に合っているのではないかと思うのだ。

僕が子供だった頃とだいぶ世界が変わってしまった。
恐らく、数年後、数十年後、また、同じように、「数年前とだいぶ世界が変わってしまった」、と思っているのかもしれない。
僕は、それを楽しめるような人物でありたいと思っている。
だからどうしたって感じである。
まあ、なんというか、終わります。
ありがとうございました。