素人のユーザーがコンテンツに価値を与えたり評価したりする場合、前提として権威(批評家や著名人などの説得力を持つもの)がそのコンテンツに価値や評価を既に与えていなければ、素人がそのコンテンツに価値や評価を与えるのは難しいと思う。
世の中にはそういう予め権威のお墨付きを与えられたコンテンツが多くある。
予め権威のお墨付きを与えられた作品、つまり、多くはそのようなものを「プロが作った作品」といえることができると思う。
それらプロの作品は、評価の良い悪い関係なく、評価自体の俎上(そじょう)に載せることができるという意味で、ユーザーが評価(価値)判断しやすい。
一方で、権威が言及や、一切触れることをしていないもの、つまり無名・素人の作品は、ユーザーがそれに価値や評価を与えるのは難しい。
そういう作品に、先日出会った。
ある友人から、職場のお世話になっている同僚(年齢は30代後半くらい)が音楽活動をしていて、ライブをやるから見にいこうと誘われた。
その同僚の方は、結構長いこと、仕事をする傍ら女性シンガーソングライターとして活動しており、そして友人曰く、「miwaみたいな感じ」であり、僕の事前情報はそれだけだった。
開演時間より30分ほど遅れてライブハウスに着くと、その「miwaみたいな」方は、演奏真っ只中であった。
僕が最初に思ったのは、「miwa」というより、猫の恩返しなどでおなじみの「つじあやの」みたいだなと思った。
なぜかと言えば、演奏内容及び当人がmiwaよりもアダルティであり、それはつまり「つじあやの」だろう。
そしてなんだか見にきている人達もわりとアダルティな雰囲気を漂わせていて、これは僕は場違いなんじゃないかと一瞬思った。
だが演奏が終わり、MCゾーンに入ると、友人が言っていた「miwa感」が徐々に現れてきた。
歌っていた時には気がつかなかったが、喋り声がmiwaに似ていて、そしてなにより、キャラクターがmiwaっぽかった。
僕はmiwaのキャラクターを熟知しているわけではない。そしてmiwaのライブにも行ったことがなければ、miwaのCDも入手したことはないし、もっといえば入手する気を起こしたことさえない。
だが、僕は数年前にやっていた「miwaのオールナイトニッポン」のリスナーだった。
そのラジオはとても面白く、その理由はmiwaのキャラクターにあった。
基本的に明るくポジティブで溌剌的、そしてサバサバしていて唯我独尊、だけどバカっぽく、進行が辿々しく、やはりバカっぽい。そしてなにより良い人そう。(こんなに細かく言って気持ち悪いと思うだろうが、僕だって気持ち悪くなっているので、その気持ちは間違ってないです)
そして、目の前にいる女性アーティストも、そのような感じだった。
進行が辿々しく、言葉につっかえ、だけどもとても明るく溌剌としていて、そして良い人そう。
そして、その人柄の良さは観客や、会場内の雰囲気にも効果をもたらしていて、みんな楽しそうであった。
僕も例外ではなく、少し纏っていた緊張感がほぐれて、楽しさの萌芽が出てきた。
そして、楽曲の感じも僕の好みと合っていて、僕は音楽には詳しくないけれど、ジャズロックだったり、フュージョン(定義がよくわかりませんが多分そんな感じ)だったり、つじあやの的だったりして、会場入りして20分くらいで「来て良かった」と思った。
というか、来る前は失礼なことなのだが、なんか演奏とか大したことなくて、お遊戯会みたいなことになるんではないだろうかと、タカを括っていたのだが、そのアーティストのバックバンドを務めている方達が3人いて、みなさんプロの方らしく、予想以上に本格的で(というのもまた失礼だな)、とても驚いたし、とても素晴らしい演奏となっていた。
ライブ終了後、そのアーティストの方と少し話す機会があり、とても気さくで接しやすく、やはり人柄の良い人だなと思った。
帰る際にも、友人に、良かったという旨の話をした。
しかし、良かったには良かったというか、本当に素晴らしかったのだが、正直、どう評価したらいいかが分からなかった。
なぜ評価に困ってしまっているのかは、冒頭で記したとおり、彼女が無名だからである。
つまり、権威による言及だったり、多くの消費者による評価がないので、基本となる軸が存在しておらず、たとえ良い悪いの評価を自分が下せたとしても、それはふわふわした、なんとも心許ないものに思えてしかたがないのである。
また、より分かりやすくこの状態を表す例を出せば、彼女が提供してくれた空間は素晴らしかったのだが、じゃあ、彼女のCDを対価を払って購入するかといったら、どうなんだろう?また、チケット代がもう少し高かったら僕は納得していただろうか?などの困惑である。
もしかしたら、このような困惑をするのは僕だけなのかもしれない。
みんな純粋に良いと思ったら、自信を持って評価するし、ちゃんと対価を払うのかもしれない。
または、アイドルとファンの関係性の一側面に見られるように、推しの子の将来性に投資という意味合いでお金を落とすということもあるのかもしれない。
僕だって、もう解散してしまったが、「ベイビーレイズJAPAN」というアイドルのファンだった時は、彼女たちの成長を期待したり、または彼女達の知名度をもっと上げさせるためにお金を落としていた部分も少なからずある。
勿論、それだけにお金を落としていたわけではない。
純粋にコンテンツとして、シンプルにそれを享受するためにお金を落とすことだってある。
そもそも僕がなぜ彼女達に興味を持ったのかといえば、彼女達が全力でパフォーマンスするライブ動画を見たからだ。
楽曲もロックチューンで僕の好みだったし、それを女の子達が全力でパフォーマンスするということがエンターテインメントとして面白かったのだ。
それは紛れもなくエンターテインメント作品であり、コンテンツだった。
そして、そのコンテンツの中に、先述した、将来性への投資、つまり、将来性への期待なども含まれる。そして将来性へ期待しているということは、現状では「不完全」ということだ。
アイドルというのは不完全なのである。そして、その「不完全」な彼女達が全力で、ゴリゴリのロックチューンを歌いあげるというある種のミスマッチ感、そういうものに魅せられて、僕は評価し、時には対価を支払っていたのだと思う。
そして僕は多分、アイドルというのは、そのような「不完全」さが前提のうえで成立しているコンテンツなのだと了解していたからこそ、それらを享受し、そしてなんの疑いもなく評価することができたのだと思う。
では、友人の同僚の女性アーティストにも、そのようなアイドル性を見出せば、彼女を評価できるのではないだろうか。
正直、僕は彼女に少なからずアイドル性を感じていた。
人柄が良いという特性は、アイドル性にも少なからず関わってくると思うし、そこを含めて、僕は彼女を「人柄が良い」と評価していたのだ。
だが、やはり僕は彼女をアイドルとして捉えることができない。
それはやはり彼女は「アーティスト」であり、「シンガーソングライター」だからだ。
そこは僕が「miwa」のCDを買わない理由と同じである。
僕は「miwa」というキャラクターが好きだが、「アーティスト」としては僕の好みではない。
しかし、「miwa」と、彼女の大きな違いは、プロ(権威的)かアマ(無名)かである。
「miwa」はプロなので、僕はすんなり「好みでないと」と評価できるが、彼女は無名なので、その評価すらもできないのだ。
アイドルとして捉えれば評価できる。
アーティストとして捉えれば評価できない。
この2つの論理から分かることは、僕は、アーティストと捉えた場合、「楽曲のクオリティ」を最重要視していることが浮き彫りになってくる。
だが、「楽曲のクオリティ」を最重要視しているが、僕は、「楽曲のクオリティ」や「演奏技術」に関して全く詳しくない。
だから「権威」が必要になってくるのだろう。
つまり、僕が、彼女の評価に戸惑っている理由は、「アーティスト」を評価する時に重要視している「楽曲のクオリティ」を、自分では判断できないため、権威の評価に頼らざるをえないが、彼女にはその権威が付属していないので、僕は判断ができないでいる、ということだと思う。
これが、彼女に権威による評価が付与されたり、もしくは僕に「楽曲のクオリティ」を評価できるまでの能力がアップされれば、彼女への評価をスムーズに判断できるのだと思う。
じゃあ、僕が彼女に対してなにも言及できないのかといえば勿論そんなことはなく、あくまで僕が「評価に困惑する」と言っているのは、最終的評価・総合的評価(それは対価をどれだけ払えるかなどもそう)のことであって、現時点でも彼女の良い点、または悪い点を部分的に言えることはできる。
というか、本当は、そのように権威に頼らず、自分で良いところ、悪いところを言えるかが重要で、そしてなるべく最終的評価も自分で下せるのが一番良いと思う。
他人に頼らず、主体的に価値を与える。
そんな感じでこれからも歩んでいきたい。
終わりです。