「僕は時々、この世界の不思議さに呆気にとられる。
一体なんなのだ。この世界は。
なんのために在るのだ?なんの意味があるのだ?
『どうせ死ぬんだから意味ないじゃん』、『自分がいなくなった後の世界ってどうなってんの?』とかのそんなありきたりな人生観の話じゃない。
人生観とかどうでもいい。その手の目的とか意味とかどうでもいい。答えはいくら考えたって出てこない。というかそれらはどうでもいい。
重要なのはこの世界の不思議さ。存在の不思議さ。そのものの不思議さ。
僕はとにかく呆気にとられる。なぜならこの世界は大したことないからだ。
世界は広い。宇宙は広い。未知の領域。深遠。深淵。
だからどうした。所詮はその程度じゃないか。
いくら宇宙が深遠・深淵だからって、世界が深遠・深淵だからって、所詮その程度だ。
『いくら宇宙が深遠・深淵だからって、世界が深遠・深淵だからって』という言葉で語れるその程度でしかない。
そのような意味で、世界はとてもちっぽけに感じる。故に大したことはない。所詮その程度。
宇宙の端っこで、あるいは世界の端っこで、なにかが起こっていたとしても、僕には無関係。所詮その程度。
この世界の創造主がなにか次の一手を企てようとしていたとしても、僕には無関係。所詮その程度だ。
この世界が『くだらない』と言っているんではない。『大したことない』と言っているんだ。とても『ちっぽけ』だと言っているんだ。
繰り返すが、人生観の話じゃない。それと一緒にされると本当に困る。
この『世界』そのものの話。
以上を踏まえると、この世界に生まれてきたことが、不思議に思える。
いや、生まれてきたからこそ不思議に思うのか。生まれてきたと同時に世界もくっついてきたというか、誕生したというか。
この世界に生まれてきたからこそ、存在しているからこそ、不思議さを感じるのだろう。
この世界に生まれてきていなかったら、存在していなかったら、この世界は存在してなかっただろうし、そしてこんな不思議さを感じることはなかっただろう。それもまた不思議だ。
そして存在していない場所から、この世界をまた捉え直すと、やはりちっぽけに感じる。所詮こんなもん。大したことないと。
ここまで綴ってきて、あれほど嫌悪していた、『この話は意味とか目的とか人生観ではない』という言葉が頭をもたげてきた。
大したことない世界で、なぜ僕は生きているのか?なんの目的で?と。
だがその直後、また嫌悪感が押し寄せてきて、『いや、これは意味とか目的とか人生観の話じゃない』という言葉が再燃する。そしてまたちっぽけな世界へと旅立つ。そしてその不思議さに呆気にとられる。堂々巡り。
まあ、僕が人間である以上、人生と切り離すのは難しいのかもしれない」
と、以上で、僕が時々世界について思うことを文章で表現してみたが、僕の言いたいことを言い得ているようで、はたまた全く言い得ていないようにも思われる。
言葉で表現しようとすると、どんどん言いたい事柄(本当のその場所)から乖離していくような、または、いつまで経っても痒い場所を探し出せない隔靴掻痒的な、もどかしさを感じる。
というか、子どもの時から感じているこの世界に対する不思議さは、いまだに感覚的な部分が大きく、しっかり捉えることができていない。捉えたと思ったらすぐ手から離れてしまう。すぐ忘れてしまう夢みたいなものかもしれない。
いつかちゃんと言語化できる日が来るのだろうか。
そんなことを朝方、寝ぼけ眼で天井を見つめながら思った。
とかなんとか、なんだか深刻振った表情で、最後カッコ付けた感じになってしまったが、別に大して真剣に考えているわけでもなく、適当です。