最近、話題のアニメ「リコリス・リコイル」を観ています。
「リコリス・リコイル(略称リコリコ)」は、放送開始前から、今期の覇権アニメか!?と言われるくらい前評判も高く、僕もその情報につられてまんまと観るに至りました。
現在8話まで放送されていますが、僕は非常に楽しく観ております。
ざっと概要を説明すると、殺人を許可された組織が、訓練された少女達をコマのように使い、テロなど犯罪行為を未然に防ぎまくることに日々奮闘。その結果、オモテ向きには現在までの8年間、日本は世界1位の安心安全な国として君臨し続けている。しかし組織の実態は、隠蔽工作やら、きな臭いことやら色々やっている模様で、その倫理的にいかがなものか方針に刃向かう天才美少女「千束(ちさと)」と、その相棒の「たきな」を中心とする「喫茶リコリコ(組織の支部)」の困難に立ち向かっていく模様をコメディやらシリアスやら百合やらBLやらロリやら等あざと演出でごった煮した、二次創作必至の王道ガンアクションアニメである。
最後に少しオーバーな表現をしてしまいましたが、僕は今のところ二次創作欲を掻き立てられることはなく、制作側の属性攻撃にまだ屈服はしていないつもりですが、じゃあ僕がこのアニメを観続けようと思った動機はというと、第1話からのジェイソン・ボーンなみのアクションシーンが満載であったことに端を発しております。
僕はマッドデイモン主演映画「ボーン・アイデンティティ」などのボーン・シリーズが好きなのですが、本作品の主人公「千束」を見た時、いやジェイソン・ボーンかよ!と、その無敵超人チートキャラっぷりに高揚いたしまた。
僕は、主人公がキレ者であり超人であり、それを演出するシーンがあると、それだけでその作品を好きになってしまうので、制作側からするとかなりチョロい視聴者であると思います。
なので、1話〜3話までわりとしっかりアクションシーンがあったので、そこまでは流れるように視聴し続けることができました。
ただ、第3話の終わりで、僕の中で邪な何かが芽吹いた感があり、あぁそうだった、僕はこういうの好きだったな、と「たきな」のツンデレの一種ともとれる心境変化シーンに、そろそろ素直に認めるべきなのだろうか?と自問自答するハメになりました。
そしてその後4話以降を観続けることになるのですが、相変わらず「たきな」の言動周りによる属性攻撃を上手く避けている気になって実はモロにくらいつつも、あれ?もしかしたらこっちの方角から来る攻撃もオレはくらっていたんではなかろうか、と「たきな」とは別の種類のダメージの蓄積を自分の中に発見しつつあったのでした。
僕っ娘ロリ属性の「くるみ(ウォールナット)」攻撃。
「くるみ(ウォールナット)」は、年齢不詳の天才ハッカーなのですが、その容姿が明らかに幼女なのです。だが言動はやけに大人びている。
あーオレはこういうのそういえば無視できないタイプだったっけな、と遠い目をしたその先には小学2年生の自分がいて、「機動戦艦ナデシコ」の「星野ルリ」が夢に出てきて、なぜか吸血鬼に変身したルリルリが、「バカばっか」と言いながら僕の首筋に噛みついたその瞬間に夢から覚め、徐々に夢見感が現実感に侵食されていくその夢との乖離が、どこか失恋をした時のような切ない感覚に似ていて、「もしかしたらオレは夢の中で星野ルリに恋をしていたのかもしれない」、フッ、やれやれだぜ、と小二病発症中のそんな当時の幼い激ヤバ無意識的二次創作者の僕を、リコリコのくるみ攻撃を受けては想起せずにはいられないのでした。
そんな訳で多方からくる属性攻撃にガンガン打たれながらも、現在第8話までなんとか正気を保ちつつ、だけどもう屈服した方が楽かもしれないな、とも思い始めてしまっていて、いやはやとんだガンアクションアニメにハマってしまったなと思っているところです。
とまあ、以上の所感は半ば冗談なのですが、結構真面目に好きな所を書くとすれば、それは、オープニングアニメーションの最後にある、映画「スタンドバイミー」をパロったとされている(本当がどうかは分かりません)、千束とたきながお互いのお尻を蹴り合うシーンでしょうか。
千束は冗談のつもりで軽くお尻を蹴るのですが、たきなはその仕返しとして思いっきりお尻を蹴り返すのです。
「スタンドバイミー」では男同士でやり合っていますが、これを女の子同士でやるというのは、僕はこれは発明なんじゃないかというくらい、ちょっと衝撃でした。
なんというか良い意味で凄い違和感があって、とても癖になる、何度観ても飽きない中毒性を引き起こします。
しかもお互いのキャラに合った演出でもあるので、毎話更新されていく本編のストーリーとその都度重ね合わせて観る楽しみもあります。
いやー中々あの演出はいいですよ。
あと、オープニング繋がりでいえば、エンディングも最高です。
というか僕はむしろエンディングの方が好きなのですが、楽曲を「さユり」さんが歌っています。
またこれがむちゃくちゃ合うんですよね。
毎話リコリコのストーリーの終わりはエモい演出で幕を閉めることが多いのですが、本編が終わる間際からフライング気味に聞こえてくるイントロのポップで疾走感あるギターリフに続いて、エンドロールに小気味よく切り替わった瞬間に歌い出されるさユりさんの「君が持ってきた漫画〜♪」で、エモー!となります。
さユりさんの歌声には、若干緊張しているかのような「震え」が含まれているように感じます。
そしてその「震え」は、ドラマチックなエモさを醸し出すことができ、アニメなどの物語との相性は抜群であるように思います。
ましてやリコリコのエンドロールへの導入は先述したようにエモく行われるので、そのエモさを損なわずにエンドロール中はずっとエモさに浸れるというわけです。
また、さユりさんは、「花の塔」をリコリコへ楽曲提供する際の公式コメントで、
「エンディングテーマとして『リコリコ』で起こる出来事に、そしてアニメをご覧になる皆様の余韻に、彩りを添えられるよう願っております。」
とおっしゃっていて、とても素晴らしいコメントだと思いました。
もう、「余韻に、彩りを添えられ」まくりです。
僕はたまにアニメに限らず映画でもそうなんですが、「もしかして、エンドロールを観るために本編を観ているんじゃないか。もはやエンドロールが本編なんじゃないのか」と思うことがあります。
つまり、「余韻」を楽しむために本編を観ているような気がするのです。
ただその「余韻」も、「本編」がないと成立できないので、やはり「本編」もしっかり楽しまなくてはダメですよね。いや、自明の話なんですけどね。
あと、もはやアニメ等の映像コンテンツでは当たり前になっていることだと思いますが、エンドロール中盤に今回の本編のダイジェストシーンを挿入する演出というのは、改めて良い手法だと思いました。
あれってよく考えるとすごいエモ演出ですよね。
そもそもあの手法は古くは何の作品からやり始めたのでしょうか。僕がその手法に最初に触れたのは恐らく「名探偵コナン」だったような気がしますが、思いついた人はかなりのエモ野郎の発明家だと思います。今度調べてみよう。
リコリコにおいてもその手法はかなりのエモ効果を発揮していて、より余韻に浸れております。
いやー良いですよエンディング。
また「花の塔」は、アニメ版バージョンも良いのですが、できればフル尺でも聴いてもらいたいです。色々な展開があって面白いので。
もしかしたらアニメでもフルで流れる演出が今後あるかもしれませんね。そしたら胸熱です。
とまあ、僕の好きなリコリコのポイントをざっと書きましたが、勿論まだまだ書き足りません。
キャラクターの心理描写の演出の仕方だったり、効果音の入れ方だったり、制作側の作品に対する愛だったり、その他色々あります。
あと、ファンの皆さんが口を揃えて言っていることですが、先の展開が読めない、アニメオリジナル作品ということもいいですよね。毎週楽しみにしてられますから。
さあ、物語も後編突入ということで、この先色々な展開があると思いますが、どんな展開になろうと、恐らく素直に受け止めて楽しめるような気がしています。
まだ観てない方は、地上波放送の他、諸々の配信サービスで観られますので、ぜひ観て見てほしい作品です。
あと、今期はシャドーハウスも面白いです。
それでは!