この前、村上春樹さんのエッセイ集「村上朝日堂 はいほー!」を読んだ。
その中の1編、ロックバンド・The Doorsについて書かれた、「ジム・モリソンのための『ソウル・キッチン』」というエッセイを読んで、なるほど確かにな、と納得させられてしまった。
簡単に内容を超訳すると、名曲「Light My Fire(邦題『ハートに火をつけて』)」は、村上氏にとっては、「Light My Fire」であって、決して「ハートに火をつけて」ではない、その邦題はいささか「やわ」にすぎる、というもの。
僕はドアーズが好きだし、勿論、「Light My Fire」も好きだ。そして、いささか「やわ」な「ハートに火をつけて」という邦題も気にいっていた。
だけど、正直、確かに言われてみれば、「ハートに火をつけて」という日本語タイトルはかなり軟弱なようにも思う。
あのカリスマ、ジム・モリソンが歌うにはちょっと似合わない気がする。そんな男女の恋愛をストレートに歌うなんて。俗物過ぎる。
しかしこの楽曲は、作詞作曲のほとんどをギターのロビー・クリーガーがやったらしい。だから、歌詞の内容がいささか「やわ」になっているとしてもおかしくはないと言えばそういう気もする。
だが、村上氏はそれでも、村上氏にとっての「Light My Fire」は、「Light My Fire」であって、それ以上でも以下でもないと言う。
謎めいている男ジム・モリソンが歌う、「Light My Fire」、そして歌詞に出てくる
Come on baby, light my fire、Try to set the night on fire
(さあ、オレのハートに火をつけてくれ、夜通し燃えあがるんだ)
歌詞だけ見ると、男性アイドルが女の子を誘っている俗っぽい内容にも思える。
だが村上氏は、ジム・モリソンが歌うと、邦題のようにハートに火をポッとつけるというより、もっとフィジカルに、そう、ジム・モリソンの肉体に、オレの体に直に火をつけくれ!と歌っているように聞こえるという。そして夜ごと火をつけてくれよ!と。
僕はこの解釈にとても納得がいっている。
何故なら、謎多き、そして伝説の多いジム・モリソンなら、極めて言いそうだからだ。
そして、村上氏のこのエッセイを読んでから改めて「Light My Fire」を聴いてみたら、不思議なことに、オレの体に直に火をつけてくれ!と歌ってるように聞こえた。
そして、もうそのようにしか聞こえなくなってしまった。
恐らく僕は、真剣にはこの楽曲を聴いていなかったのだろう。なんとなく良い曲だとは思っていたが、それより先の聴き方をしてなかった。
この楽曲の良さをちゃんと享受してなかったのだ。
まだ、僕は村上氏の言葉を借りれば、肉体が焼き焦げるような臭いがしてくるまでにはこの楽曲を聴き込めていない。いつかそんな日が来るのだろうか。
また、このエッセイは、執筆当時(1980年代前半)から、当時ドアーズが活躍していた頃(1960年代後半〜70年前半)の時代を懐古している、正直かなりセンチメンタルな内容となっている。
その中で僕が好きな箇所、
「1971年には1983年なんていう年が本当に僕の身にまわってくるとは想像することもできなかった。それでも1983年は実際に、何の感動もなく僕の上に降りかかってきて、僕は今でもジム・モリソンとザ・ドアーズのレコードを聴きつづけている。」
少し変化球な話だが、芸人の永野さんも、いつかのYouTubeで音楽を語る時に、ふとこのような言い回しをしていて、うおーとぐっとくるものがあった。
本書はこのドアーズの話しの他に、たくさんのエッセイが収録されている。
僕が好きな話しは、音楽の話しの他に、食についての話しがお気に入りだ。
思わず食べたくなるような、その店に行ってみたくなるような文章で読んでいて楽しい。
このエッセイ「村上朝日堂」はシリーズ化されていて、本書の他に数冊出版されているので、他のも読んでみようと思う。
それでは!
