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自分の意見はどこにあるのか-ブログやYouTubeなどのコメントの仕方から考える-

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色々なブログ記事やYouTubeのコンテンツを閲覧し、そのコンテンツに対する自分の意見をコメントする際、そのコメントは、はたして本当に自分から出たものなのか、または、自分でちゃんと考え抜いた意見なのだろうか、とふと思ってしまうことがある。

そのような思いに至る理由に、他の閲覧者のコメントがすぐ見れてしまう環境にあって、自分が考える前に他の閲覧者のコメントをインプットしてしまう、ということが挙げられるのではないかと思う。

僕がよくあるパターンとして、あるコンテンツを見終わり、コメント欄に目を移す。
そして既にコメントされた他人の意見を読み、その意見を一旦鵜呑みにする。

「そうか。まさにそういうことだよな。自分もそう思うぞ」

そして、さらに違う人のコメントも見る。しかし、先程のコメントとはまるで違う意見が書かれており、今度はその人の意見が正しく思えてきてしまう。

この時、自分の意見は一体どこにあるのだ、と思えてくる。

何故だろう。

それはコンテンツとの向き合い方が問題なように思う。
上記のようなコンテンツの向き合い方だと、自分の意見など最初からありはしないように思う。
上記のは、他人の意見に単に同調することしかしていない。
他人の意見をただなぞっているだけ。
最初から他人の意見を参考にしようと思っていて、自分の意見など持とうとはしていない。自ら考えようとしていない。
そのようなスタンスでいるということに無自覚でコンテンツに接してしまうと、他人のコメントごとに立ち位置を変えてしまう自分に対して、「自分の意見はどこにあるのだ」などとほざいてしまうのだ(自分に言ってます)。

だから、コメントを見る前に、そのコンテンツと自分の関係をよく考える。
そのコンテンツに対して自分がどこに引っ掛かったのか、疑問に思ったのか、または感動したのか。
そして該当した部分をよく考え抜く。例え結論が出なかったとしても、自分が納得するまで考え抜く。
そしてコメント欄を見る。
もし、ある他人のコメントが、自分と違う意見を書いていた場合。
まず自分とその人の、問題にしている部分が一緒かどうか確認する。
コメントはその人の考えた結果が書いてあるので、その結果からその人の問題意識、つまりその人のこだわりを推測する。
そして、そのこだわりが、自分のこだわりと違う場合、あー、そもそもこの人とは問題にしている出発点が違っているのか。ということが分かり、そりゃあ、自分と意見が違ってて当たり前だよな。というように、自分と他人の意見を分けて捉えることができる
そして、自分にはなかった新たな視点が加わり、そのことについてもよく考え抜き、そこで初めて同調する/しない、という判断ができる。

そして、自分とこだわりが一緒で、意見が違っている場合でも、
「たしかにそういう考え方もできるな。よし、参考にしよう」というように、ちゃんと考えてから初めてそのコメントに同調ができる。
仮に同調できなくても、「この意見は違うな。今のところ僕は自分の意見がベスト」というように、しかっり考えていれば、安易に同調することはない。

つまり、冒頭の、「そのコメントは、はたして本当に自分から出たものなのか、または、自分でちゃんと考え抜いた意見なのだろうか」と思ってしまうのは、そもそも自分の意見などハナから持たないままコメントしようとしている証拠にほかならないのである。

ちゃんと自分で考え抜いていれば、意見がコロコロ変わったり、「自分の意見はどこにあるのか」などという表現はしないはずで、何故自分が他人のコメントに同調するか、またはしないのか、そういう自分の思考の動きというのがハッキリ理解できているはずなのだ。

つまりコメントする前に、自分のこだわりをよく確認すること、そしてそれを考え抜くこと、これが重要だと思う。

なんだか自分に対しての戒めの記事になってしまった。
よくわからない記事ですみません。
ここまで読んでいただいた方に感謝します。

てへぺろです。