ハイハイで散歩中

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セルフ化の波と、豚汁の一点張り

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先日、某牛丼チェーン店で豚汁を頼んだら、味噌汁が出てきた。

僕は店員に言った。


僕「すみません。これ味噌汁なんー」

店員「豚汁です」

僕「いや、みそしー」

店員「豚汁です」

僕「いや、みそー」

店員「豚汁です。下にいけば、豚汁入ってます」

 

パフェかよ!

 

上はいちご、その下はブルーベリー、1番下はなんとコーンフレークが入ってます、でお馴染みのパフェかよ!汁物に階層なんていらねーんだよ!っていうか、下にいけば豚汁「入ってる」って表現なんだよ!液体って、ここからここまで、みたいに区切れるものなのか?コーンフレーク的扱いできるものなのか?なんか哲学的問いだぜやっこさん。いや、待て待て、「下にいけば」って・・・じゃあ上になんかあんのかよ!豚汁じゃないものが乗っかってるってことじゃねーか!いやそうだよ、多分それ味噌汁だよ。上に乗っかってるの味噌汁だよ。ワカメと油揚げ確認済みだし、というかそれで味噌汁だと思って店員呼んでるわけだし。あと、なんかもう、色合いとか、よく見るとただの茶色っていうより、どことなく濁って見えるしミックス感出てるし。あと、なんで店員さん、食い気味なんだよ。食い気味「豚汁です」は、それはもう、自分に非があるからこその反応丸出しだよ・・・

 

僕は、店員のあまりにも毅然とした態度に、根負けした。

その女性の店員さんの普段の仕事振りを知っているが、いつもどんなトラブルにも毅然とした対応をしているので、僕はとても優秀な人だなと思っていた。がしかし、いざ自分がその毅然とした態度の対象となってみると、あまり気分の良いのものではなかった。返ってその毅然さ、冷静さが鼻についた。

状況が変われば物事の見方も変わるものだなと思いながら、その店員が豚汁と言い張る、得体の知れない汁物を食した。

確かに、下に豚汁があった。

いや、豚汁というか、豚汁の象徴となる、豚肉、ゴボウがあった。

 

いや、これもう味噌汁と豚汁のハーフアンドハーフですやん!

 

味とか味噌汁っぽいし、豚汁っぽいしで、

 

味噌汁と豚汁のハーフアンドハーフですやん!構造がピザのそれですやん!

 

やっぱり怒りの表現は関西弁に限るな、と再確認しつつ、奥の厨房で店員達が、「あの客、味噌汁と豚汁のハーフアンドハーフ食べてるよ。珍しいね」「なんだよハーフアンドハーフって。ミックスって表現じゃ駄目なのかよ」「そっちの方がピザに繋げられそうじゃない?」「いやミックスでもピザに繋げられると思うよ」「地元ルール」「意味分かんないよ」

的な会話を繰り広げてるのではないかと妄想しながら、僕は食べ続けた。

そして食べ終え、お会計の時には、「味噌汁と豚汁のハーフアンドハーフ、意外にイケるな、ご馳走様でした」と思ってしまっていて、自分の食へのこだわりの無さを再確認するのであった。

 

話しは少し逸れるが、少し前までその店は、注文を店員に口頭で告げるスタイルだった。

ゆえに、外国人が多く働くその店では、注文時におけるトラブルが頻発していた。

しかし最近になって、タブレット端末が導入され、注文は全てその端末から行うシステムへと変更された。

その結果、店員と会話する機会が極端に減ったことによって、以前あったトラブルも解消されたようだった。

しかし、まだ盛り付けや、配膳などは店員が行うので、僕の豚汁事件のようなトラブルは起こる。

ここで問題なのは、責任の宛が自分意外に発生してしまうところだと思う。

つまり、トラブルを「他人のせい」にできてしまうから厄介なのだ。

ストレスは人間関係から起こるのが常だろう。

だからこの飲食店問題は、「他人を介在させない」領域を広げることが得策なのではないか。

つまり、客が盛り付けや配膳まで全て行う、そう、完全セルフ化させたら良いのだと思う。

このシステムにより、必然的に自己責任が芽生えるので、他者を介在としたストレスやトラブルは減るように思う。

 

この問題は、様々な接客の現場で起こりうる。

例えばこの前、コンビニで商品の会計を行おうとレジに向かったら、店員さんが奥に引っ込んでいたので声がけをした。

僕はその時、タイミングを見誤ったかもしれないと思った。

案の定、こちらに向かってきた店員さんは少し不機嫌そうだった。

なぜかと言えば、僕が声をかけたその時、店員さんは流し台でなにか作業をし始めようとしていたからだ。

コンビニの店員さんは忙しい。特にそのコンビニにおいては、ボーッと突っ立っているところを見たことがない。

やることが常にあり、自分で予定を立て、自分のペースでそれを実行しようとしている最中に、部外者によってそれを邪魔させられた時の不快感は僕にも分かる。

なので、その店員さんが不機嫌になるのも同感できるのだが、かと言って、直接視界にその不機嫌さを取り入れてしまった時に起こる、身体的レベルでの反応を回避することは中々至難の技でもある。

僕も徐々にその店員の不機嫌さが伝染したように不機嫌になってきた。

そして、一旦そのフィルターがかかってしまったら、ありとあらゆる動作がそのような色に見えてくる。

商品を袋に入れる動作、合計金額の知らせ方、ポイントカードご利用確認の言い方、商品の受け渡し方など、その全てがぞんざいに思えてくる。

たとえ、店員がそのような態度で本当は接していなくても、こちら側がそのように誤解してしまったり、もしかしてそうなんではないか、とあれこれ気疲れしてしまうことも問題であるように思う。

勿論逆も然りで、店員の側が客に対して同じようなことを思うことだって大いにあるだろう。

やはり、悲しいことかもしれないが、どうしたって人を介すと、ストレスが発生するのだ。


僕はその帰り科、その店にセルフレジが導入されることを強く願った。

そしたら、その願い通りに、数日後にそのコンビニにセルフレジが導入されていた。

僕は早速利用し、おー快適だなー、なんて思った。

そもそもなにか能動的にやることは楽しい。

普段受け身の生活からは見えてこない、能動的な世界から見えることもあると思う。

だから、僕はありとあらゆるものをセルフ化させていくことに賛成だ。

いや勿論、セルフ化のメリットというのは、人間関係から生じるストレス排除というより、人件費や労働面からみた時に推奨されるものであるのだろう。

だが人間関係で生じるストレスは確実にある。というかほぼそれなのでは、とさえ思う。

だからセルフ化には賛成。

賛成なのだが、やはり本当にそれでいいのだろうか?という変な道徳心のようなものも一抹ある。

なぜかと言えば、その人間関係によって生じる、つまりコミュニケーションを介したことによって生じるポジティブな面も当然のことながらあるからである。

まあ、それを接客の場で求める必要性もないのだろうが、まあ、なんか複雑でもある。

恐らくこれからどんどんセルフ化は進んでいくというか、無駄と認定されたものはどんどん排除されていく世界になるのだろう。

だが、ブログのネタにできそうだなと思える、振り返ってみるとなんだか楽しい出来事は、やはり他者と関わることで生じてくるようにも思う。

食い気味スタイルで行われた豚汁の一点張りのようなことも、中々出くわすことはこの先なくなるのもしれない。

それはそれで複雑である。

以上です。ありがとうございました。