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クソ回あったって何故か聴きたくなる!三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)の魅力を考える

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僕は毎週金曜日の深夜AM3時~AM5時に放送されているラジオ番組「三四郎のオールナイトニッポンZERO(ニッポン放送局)」を聴いている。

この番組は、お笑い芸人三四郎の2人がパーソナリティを務めている、かれこれ4年程続く番組である。

「オールナイトニッポン」の深夜枠は現在、第1部(AM1時~AM3時)と、第2部(AM3時~AM5時)「オールナイトニッポン0(ZERO)」に分かれている。

因みに、現在第1部の「オールナイトニッポン」と、第2部の「オールナイトニッポン0(ZERO)」のパーソナリティを務めているのが、以下である。

第1部(AM1時~AM3時)

・月曜日:菅田将暉 
・火曜日:星野源
・水曜日:AKBの誰か 
・木曜日:岡村隆史(ナインティナインティ)
・金曜日:山下健二郎(三代目J SOUL~) 
・土曜日:オードリー

第2部(オールナイトニッポン0『ZERO』AM3時~AM5時)

・月曜日:根本宗子、長井短 
・火曜日:CreepyNuts
・水曜日:新内眞衣(乃木坂46) 
・木曜日:四千頭身
・金曜日:三四郎 
・土曜日(AM3時〜4時30分)週替わり

(公式ホームページ・wikipedia参照)

 

以上の顔触れを見ればなんとなく察しがついてしまうかもしれないが、第1部の方が、第2部より格上感があるのは否めない。

だが、第2部で良い成績を残せば、第1部へ昇格できるという過去の事例もある。

アルコアンドピース(現在はTBSに移動)、ウーマンラッシュアワー(現在は終了)などがそうだ。

その中で三四郎は中々第1部に昇格できず、第2部で異例ともいえる4年間を過ごしている。

とはいえ、第2部ともいえど、当然成績を残さなければ、その番組自体は終了してしまう。

しかも三四郎は、年末の特番なども任されたり、もう一つニッポン放送でのレギュラー番組(「恋愛見極め人」という番組で、こちらは三四郎に加え、タレントのYOUと3人でやっている)も持っているし、それらを踏まえれば、奮闘している、いや、大健闘しているともいえるのだ。

しかしである。「三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)」をネットで検索すると、「クソ回」というのが出てくる。

そう、この番組は、結構な頻度でクソ回を生み出す。

「クソ回」というのは、文字通りクソな回で、番組が盛り上がらなかったり、悲惨な状況だったり、収集がつかなくなってしまう回のことである。

ツイッターでも、「クソ回w」、「クソ回だな笑」、「今回はクソ回だー。」、「マジクソ」、「普通に糞」、などタイムライン上にクソが溢れ、もうクソまみれな瞬間がある。

おまけに、その番組の生放送中にリスナーからメールで、いかに今回の放送がクソ回かの辛辣なリアクションメールが届き、三四郎2人の精神を追い詰め、一層現場の雰囲気を悪くすることだってある。

僕だってある時知人に、自分が三四郎のラジオを聴いていると言ったら、どんなラジオなのかと問われ、「いやークソ回が多くて、あんまりお薦めできませんね」と、答えてしまう始末。

だが、その知人から、「そんなにひどいのに、毎週聴いてるんだね」と言われた。

そうなのだ。クソ回多めなのに、なぜか次も聴いてしまうのだ。

それは何故なのか。

前置きが長くなってしまったが、今回はそんな「三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)」を毎週聴いてしまうのは一体何故なのかを考えてみようと思う。

これは決して三四郎のラジオを悪く言うつもりはなく、できる限りこの番組の魅力が伝われば幸いだと思って書く次第である。

 

理由①「品がある」

 

三四郎の2人は、お坊ちゃま学校として有名な成城学園出身であり、育ちが中々良い。

このように書くと、階級主義者だとか、差別主義者だとか言われそうだが、僕の経験からいえば、お坊ちゃま育ちの人間は、どこか品が感じられるところがある。

それは、ラジオの深夜放送に付き物の、下ネタを大いに頻発している時でさえ、三四郎の2人は、下品になり過ぎないところがある。

ここで少し芸人の有吉弘行を例に出してみる。

僕は有吉弘行という人間が好きだが、有吉がやっているラジオ「SUNDAY NIGHT DREAMER(JFN系列)」などは、リスナーが「ゲスナー」と言われるくらい、リアクションメールやコーナーがゲスかったりするので、あまり聴く気にはなれない。

たまに聴く分には僕だって、そういう攻め過ぎている番組も嫌いではないので、聴く気になるが、毎週ともなると吐き気を催しそうになる。(ただ、ゲストにふかわりょうが出た回はとても面白かった)

とはいえ有吉自体には、結構僕は品を感じているのだが、あまりにもゲスワードが放送中に乱発されると咽せるということで、やり過ぎはダメだよな、ということである。

三四郎はそういう点で行き過ぎていないと思うし、また、あまりそういうことをやらないからこそ、たまにそういう回があると、面白みが増すのではないかとも思う。

三四郎のトーク内容は多岐にわたるが、中でも、「食」の話しだったり、「ゲーム」の話しだったり、「ドラマ」の話しをすることがある。

例えば「食」だったら、相田が、日高屋のチゲ味噌ラーメンが美味くて最近ハマってるだとか、「ゲーム」だったら、学生の時、新宿にあるゲームセンターのテニスゲームをやり込んでいて、ネットで検索すると、その地区の四天王に小宮がなっていた時期があったりだとか、「ドラマ」だったら、『ドラゴン桜』のストーリーをただただ相田が話すだとか、竹内結子主演の『ランチの女王』の良さ、『恋のチカラ』の時の深津絵里は可愛かった、矢田亜希子も出てたよなー。とか、そんな平和な話しをしたりする。

勿論、それら平々凡々な話しばかりではないが、そういう話しが出てくると、三四郎の2人とそれほど年齢が離れていない僕からすると、なんか嬉しくなるし、深夜放送、しかもAM3時~5時という超ド深夜には、ちょうど良い按配だったりするのだ。

そういう2人の空気感が、長く聴き続けられる理由の一つなのかもしれないと思う。

 

理由②「2人に隙が多い」

 

隙が多いというのは、2人の言動に対してリスナーがツッコミを入れやすかったり、気軽に批判できたりするようなミスが多々あるということだ。

ツッコミや批判が安易にできるということは、リスナーが三四郎に対してマウントをとれるということで、それはまた、リスナーと三四郎の距離が近いことを意味する。

ラジオの醍醐味は、パーソナリティがあたかも自分に話しかけているような、そんな距離の近さ、親近感にあると思うので、そのような点で、三四郎の番組はまさにラジオに適した放送をしているといえる。

具体的な三四郎の隙を挙げてみる。

まず小宮の場合は、

パーソナリティにはあり得ないって程によく噛む。何度も何度も噛むので、
もうそれが当たり前になっている。
噛むことによって勿論トラブルも起こる。
せっかくリスナーが送ってくれたメールも噛んでしまうので、そのメールが台無しになってしまい、思ってた展開にならない。
メールを送ったリスナーの気持ちを考えると、まあ、かわいそうだろう。

相田の場合は、

なんというか、アドリブがあまり上手くないように思う。
また、リアクションもそんなに得意ではなさそうだ。
総じていえば、拭いきれない素人感というか、芸人っぽくないのだ。
まあこういうキャラクターが親近感に繋がったりするのだろうから、まあ良し悪しである。

以上がざっと思いつく2人の「隙」で、先述したが、この「隙」をプラスと捉えるかマイナスと捉えるかは難しいところだ。

だが、今までにその両者をもたらしているのは確かなので、ほんとに良し悪しということだろう。

 

理由③「クソ回があるからこそ聴きたくなる」

三四郎『一九八三』

僕は三四郎の漫才が好きで、その延長でラジオを聴き始めた。

2人の漫才の魅力は多々あるが、僕が一番これが肝だなと思う所は、良い意味でも悪い意味でも「粗い」ということだ。

その粗さは、漫才に重要だと思われる「ニン(キャラクター)」にも直結したり、その先の展開を読めなくさせる効果もあり、結構重要な魅力ポイントだと思う。

具体的に三四郎の漫才におけるその「粗さ」を挙げてみると、

良い意味での場合

まるで台本がないかのようなアドリブ的漫才だったり、関係のないところで小宮が噛んでしまいそれが笑いに変わることだったり、エネルギー溢るる、勢いで持って行くようなそんな熱さだったりなど。

悪い意味での場合

アドリブ的漫才が、2人の息が噛み合わなくなり、リズムが崩れ、修正もできず、ただ台本通りこなすような、そんなグズグズの展開になってしまう状態。

この悪い意味での場合の「粗さ」が、ラジオでいう「クソ回」になるのだと思う。

なにかのアクシデントが起こり、それを修正できずにそのままグズグズの展開で終了する。

ラジオで2人で話すというのは、ある意味ラジオで漫才をしているのと同じだ。

だから、2人の息が噛み合わなくなったら、漫才同様、グズグズになってしまうのだ。

ただ、良い言い方をすれば、それら全てをひっくるめて三四郎ともいえる。

そのような「粗さ」、「不完全さ」が三四郎というキャラクターなのかもしれない。

だから、「三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)」という番組の要素、特徴の中に、「クソ回が多い」というのがもはや入っていて、それがないと「三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)」とはいえないのかもしれない。

また、人間特有の、「怖いものみたさ」、「見たくないのに思わず見てしまう」というような心理作用も働いているのではないかと思う。

「なんかメチャクチャなことになっているらしい」と聞いたならば、思わず聴いてしまいたくはならないだろうか。

そしてそういう対象物にリスナーは、優越感やマウントがとれ、色々文句もいえる。

概して人間は、親近感、優越感を好む。

その点でも三四郎は生放送のラジオと相性が良い。

また、そのようなメチャクチャなラジオは当たり前だが、その先の展開が読めない。

そういう状況は「笑い」と相性がいい。

メチャクチャな展開、先が読めない状況で代表的な回があった。

その回は賛否両論あり、クソ回とも言われたが、はたまた神回とも言われた。

それが、ゲストに「なかやまきんに君」を迎えた回だった。

なかやまきんに君は、一切お笑いのセオリーが通じず、どんどん自分のペースで進んでいき、番組を破滅へと導いていった。

三四郎も、暴れ回るなかやまきんに君に対して、キレたリアクションや呆れたリアクションなどして、番組を盛り上げていた。

こういう賛否両論な極めて粗い回があったり、はたまた本当にクソ回一択のような回、普通に面白い回、そういう様々な、つまりそんな「粗い」番組だからこそ、いつの間にかクセになり、次も聴きたくなってしまうのではないだろうか。

 

まとめ

 

ここまで考えてきて一つのキーワードになるのが、やはり、「粗さ」ということになるだろう。

そして、もっといえば、それは漫才とも共通するのだが、三四郎には、ある種の「中毒性」があるのだと思う。

聴くたびに、理由は分からないが次も聴きたくなってしまう。そのような「中毒性」。

また、ど深夜AM3時~5時という絶妙な時間帯もいいのかもしれない。

その時間に適した雰囲気なのかもしれない。

ということは、このまま第1部に上がることは永遠にないのかもしれない笑

 

まとめると、品のよさ不完全さ粗さ中毒性人間の批判したい心理ド深夜の時間帯、これらが、クソ回が多いのに、次も「三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)」を聴きたくなる理由だと僕は思います。

終わりです。

ありがとうございました。