発行から少し経ってしまいましたが、話題になっていたので読みました。
お笑い(M-1)をこんなに真っ向から分析的・理論的に書かれた本を読んだのは初めてだったので、ワクワクしたし、かつ嬉しくもありました。
なぜ嬉しかったのかといえば、あまりそういう機会に出会うことがなかったからです。
ラジオやテレビなどで芸人さんがお笑いのことを語ることは以前からありましたが、芸人という職業上、ずっと真面目にただただ語るということがどうしてもできないというか、どうしても真面目さから逸脱させないと芸人ではないようなところがあると思うし、ましてやお笑い芸人が「笑い」について語るということ自体ナンセンスだという人も少なからずいると思います。
そういう理由で、真面目に、しかも本職の人が、「笑い」について語り尽くすという本が、僕には少し驚きだし、しかし、待ち望んでもいたので、とても嬉しかったのです。
しかもその著者が、以前からこの人の言うことはハッとさせられるなと好感を抱いていた、ナイツの塙さんということもあって、ワクワクで少し興奮気味に最後まで読み進めることができました。
内容は、ほとんど、「M-1」という1つのものを、質疑応答形式にして、ただただ分析的・理論的に語るというものです(途中で、ナイツや塙さんご自身について語る章が出てきますが、それ以外は全てM-1についての話しです)。
理論的だからと言って、特段難しいということはなく、むしろとても分かりやすく、読みやすかったです。
ナイツ塙さん自身、「M-1」決勝の舞台に立った経験と、全力で、「M-1」という凄まじい存在と長らく格闘したからこそ語れる知見で溢れていました。
以下、僕が印象に残った部分を紹介していきます。
「M-1」は、吉本主催の大会であり、しゃべくり漫才を決める大会
そもそも「M-1」という大会は、吉本興業が出資し、吉本興業が立ち上げた大会だそうです。
なので、塙さん曰く、他事務所の芸人のエントリーを受け入れたり、決勝に進出できたり、ましてや「アンタッチャプル」や「サンドウィッチマン」のように優勝までしてしまうのを許容するというのは、吉本興業という会社の懐の大きさを表していると述べられています。
また、よく吉本興業の芸人ばかり決勝に残っていて、吉本贔屓だなんて言われたりしますが、それは業界内の吉本芸人の人数が他事務所に比べて圧倒的に多いというのと、仮に吉本贔屓が働いていたとしても、そもそも吉本主催の大会なんだから、他事務所の芸人はなにも文句はいえない、むしろ参加させてもらってありがとうございます、という気持ちでいるべきだということだそうです。
しかし、これはある意味で他事務所芸人にとってはプラスに働くかもしれません。
なぜならば、そういう「駄目でもともと」、「優勝なんてできっこない」、そういう精神で大会に臨むと、へんに緊張せずに、リラックスして、のびのび「自分達の漫才」ができる可能性があるからです。
この「自分達の漫才」は後にも書きますが、「M-1」の先を見据える若手芸人にとっては、ある意味では芸人人生を左右する指針ともいえるべき、とても重要なものだと思います。
とにかく、リラックスして、「駄目でもともと」精神のエネルギー溢るる漫才は、審査員だけではなく、観ているもの全ての人になんらかの影響を与え、「M-1」で優勝できなくともその後の芸人人生に多大な影響を与える可能性を秘めているので、大局的に見ればプラスになるかもしれないのです。
また、「M-1」は、2001年の第1回大会から、年々「M-1の定義」を整えてきたといいます。
「M-1」というのは一体なにを決める大会なのか。
とりあえず「漫才」の日本一を決める大会だということは誰しも分かると思います。
しかし、ひとえに「漫才」といっても、それに対するアプローチの仕方、種類はいくつかあります。
そしてそれらは大きく2つに分けることができます。
その2つとは、「しゃべくり漫才」と、「コント漫才」です。
「しゃべくり漫才」の代表的なコンビは、第一会大会で優勝した「中川家」や、続く第二回大会優勝者「ますだおかだ」、2005年大会優勝者「ブラックマヨネーズ」、M-1復活後の2016年優勝者「銀シャリ」、そして記憶に新しい去年の優勝者「霜降り明星」なんかもそうです。
他方、コント漫才の代表格は、関東勢初の優勝者「アンタッチャブル」、2007年優勝者「サンドウィッチマン」、いつもあと一歩のところで優勝に手が届かない「和牛」、独特のテンポの漫才を展開する「おぎやはぎ」、コント漫才とは少し違いますが、非しゃべくり漫才という意味で、キャラを活かした「オードリー」など。
そして、しゃべくり漫才の代表格、「中川家」や、「ますだおかだ」、「ブラックマヨネーズ」などから分かるように、しゃべくり漫才は、「関西弁」ととても相性がいいです。
しゃべくり漫才は、日常の会話の延長上という雰囲気、そしてテンポが速く、またボケ数が多いというのが特徴であり、それが魅力にもなります。
そして関西弁というのは、そのような特性に非常にマッチするのです。
そもそも、漫才のルーツは関西圏だといいます。
関西の人達は、日常の中に「お笑い」がとても染み込んでいて、そこかしこで漫才のようなやり取りを繰り広げているといいます。
また、落語においては、東京は「江戸落語」、関西では「上方落語」といいます。
しかし漫才においては、関西は「上方漫才」といいますが、東京では、「東京漫才」や「江戸漫才」という言い方はしません。
おまけに、寄席を例に見ても、東京では重要なトリを務めるのは「落語」に対して、関西ではそれが「漫才」になるそうです。
このことからも、いかに関西では漫才が重宝されているか、それは日常的に根付いているしゃべくり漫才のような会話をルーツとした、関西が漫才の起源であるからに他ならないからです。
そして、塙さんはこうも言い切ります。
「漫才とは、しゃべくり漫才のことである」と。
そして、「M-1」の優勝者は、ほとんどがしゃべくり漫才の形式をとったコンビなのです。
つまり、「M-1」という大会は、関西圏をルーツとした、しゃべくり漫才を決める大会という定義付ができるのです。
「アンタッチャブル」や「サンドウィッチマン」ら非関西勢はなぜ優勝することできたのか
では、「M-1」という大会には不利なようにも思える非関西勢のコンビ、「アンタッチャブル」や「サンドウィッチマン」、そして「パンクブーブー」らはなぜ優勝できたのでしょうか。
まずは「アンタッチャブル」から見ていきましょう。
「アンタッチャブル」はコント漫才の形式をとっていますが、掛け合いが非常にテンポよく、そしてボケ数も多いです。これはしゃべくり漫才の特徴に見られるものですので、審査員受けがよいのだと思います。
また、関西弁ではないのに、なぜ小気味の良いボケ、ツッコミを量産できたのかといえば、それはツッコミの柴田さんの関西弁ならぬ、「江戸弁」のような「江戸言葉風」のツッコミが功を奏していると塙さんは分析します。
「江戸言葉」とは例えば、「てやんでえ」や、「べらんめえ」とか「こんちくしょう」などのような、末尾に「!(感嘆符)」が添えられそうな、そんな威勢のよい口調のことをいいます。
そしてその口調は、しゃべくり漫才の核ともなる「怒り」を乗せやすい。
ボケの山崎さんのすっとぼけた言動に、怒りを乗せた勢いのある柴田さんの江戸言葉風ツッコミが炸裂することで、とても強いインパクト、そしてスピード感を見ている者に与え、そして、コントなのにどこか日常の延長のような雰囲気を作り上げている。
これらが「アンタッチャブル」を優勝にまで導いた強みだったと言えるのです。
また、塙さんは、柴田さんのツッコミをみていると、今でも江戸弁のような言葉が関東に残っていたらと、悔しさを滲ませています。
なぜ現代に江戸弁が残っていないのかと言えば、東京は、地方からの移住者が多く、様々な地域の言葉が飛び交う都市です。
その中で、江戸弁のような威勢のよい喧嘩口調の言葉で話していたら、そこかしこで喧嘩が起こっていたのではないでしょうか。
そんな周囲の環境に適応するため、江戸弁は徐々に消滅していき、そして、誰しもが聞き取りやすい、そしてあまり感情の読み取られにくい、「東京の言葉」というのが作られていったのではないかと塙さんは推測しています。
この東京の言葉、話し方は「怒り」が非常に乗せにくい構造になっています。
そこでいうと、柴田さんの「江戸言葉風」のツッコミは、怒りが乗せやすいため、迫力があり、そしてテンポ感が出やすい、まるでしゃべくり漫才かのような掛け合いになり、「M-1」という競技に非常にフィットしやすくなるのです。
次は「サンドウィッチマン」です。「サンドウィッチマン」の漫才はコント漫才ですが、「アンタッチャブル」同様、非常にボケ数が多く、とてもテンポが良いです。これは「M-1」という競技にとっては非常に有利に働きます。
「サンドウィッチマン」は仙台出身で非関西圏となるわけですが、なぜそこまでテンポのよい、まるでしゃべくり漫才のような掛け合いができるのでしょうか。
これはナイツのネタの作り方と非常に似ていると塙さんは分析します。
つまり、「言い間違い」のボケを軸としている、ということだそうです。
簡単な一例になりますが、例えば以下のような掛け合いです。
●【サンドウィッチマンのハンバーガー屋のネタ】
店員(富澤)「では厨房を振り返ります」
客(伊達)「いや、注文を繰り返せよ!」
●【ナイツのネタへの導入部】
塙「先日、インターネットのヤホーで検索したんですけど」
土屋「ヤフーね」
上記のような、「言い間違い(ボケ)-訂正(ツッコミ)」という組み合わせを利用すると、ボケ数を増やせるというわけです。
また、塙さんは、伊達さんのツッコミ方も称賛していました。
伊達さんのツッコミはシンプルなんだけど(例えば「うるせぇな!」など)、とてもインパクトがあり、ストレートが速く、そして強いといいます。
このようなツッコミは、ボケを際立たせる効果があるそうです。
「アンタッチャブル」もそうでしたが、歴代の王者をみると、例外なくツッコミが強いそうです。
あと、なんといっても「サンドウィッチマン」は、ネタの他に、自分達に「劇的なドラマ」を付与させたことが大きいと塙さんは言います。
敗者復活から這い上がってきた「サンドウィッチマン」は、それまでは「無名」であり、「非関西圏(宮城県出身)」、「非吉本」という、いわば下克上や逆襲という言葉が似合いそうな、返ってここではアドバンテージにもなりえるドラマチック的レッテルを貼付て決勝に上がってきました。
「オードリー」や「アンタッチャブル」、または「笑い飯」などにも見受けられるように、しばしば「M-1」という大会は、「ドラマチック的展開」を好み、そしてそれが功を奏するようです。
「サンドウィッチマン」は、実力の他に、そのような「運」にも非常に恵まれたと塙さんは分析しています。
そして、福岡出身の「パンクブーブー」も、コント漫才ですが、「アンタッチャブル」や「サンドウィッチマン」のように、ボケ数が多く、テンポがとてもよい漫才をします。
そしてなにより、「パンクブーブー」はネタのクオリティが非常に高いといいます。
それは、過去「パンクブーブー」のみしか成し遂げていない、「M-1」と「THE MANZAI 」の2冠を達成していることからも分かると思います。
ナイツが、爆笑オンエアバトルという番組で、10回出演して3回しかオンエアされていないのに対して、「パンクブーブー」は21回出演して、オンエアされなかったのはたったの2回だけだといいます。
このことからも、ネタ自体のクオリティが高く、万人受けするネタを持っている「パンクブーブー」は、非関西県だとかしゃべくり漫才ではないとかの次元ではない、誰もが認める王者だということです。
上記であげた3組は、みなコント漫才です。
非関西圏のコンビは、コント漫才の形式をとることによって、関西弁というアドバンテージを解消できると塙さんはいいます。
そして、コントという枠組の中で、従来の漫才に縛られることなく、自由にネタを考えることができるのも、コント漫才のいいところだと述べられています。
先ほどから、伝統ある、しゃべくり漫才の方が有利だと述べてきましたが、一概にそんなことはなく、「M-1」というのは、斬新な新しいものを求める傾向も強いです。
それは、スピード感を排除して、ゆったりした雰囲気を逆に武器にした「スリムクラブ」や、独自性満載の「ジャルジャル」をみても分かると思います。
もっといえば、審査員の中で昔から一貫して「新しいもの」の審査基準を重要視しているのはダウンタウンの松本さんだと塙さんはいいます。
ジャルジャルの漫才にいつも高得点を付けることからもそのことは分かると思います。
つまり、非関西圏の芸人でも、その斬新さを武器に十分戦えるということです。
「M-1」優勝を目指さないほうがいい
先述した「新しいもの」というのは、「斬新さ」の他に、「新鮮さ/鮮度」というニュアンスも含んでいます。
先述したサンドウィッチマンやブラックマヨネーズ、または霜降り明星なんかもそうだったかもしれませんが、その芸人が無名であったり、あまり世間に知られていない存在だと、そこに「新鮮さ」が付与されやすくなります。
そしてそれはマンネリを打破したい「M-1」の大会においては、非常にアドバンテージになりえる要素の1つになります。
ですから、「和牛」や、「スーパーマラドーナ」、「笑い飯」などの「Mー1」決勝常連になっている芸人は、必然的に鮮度が薄れ、そしてまだ無名の芸人にぽーんと(昨年の霜降り明星のように)越えていかれかねない危険性を纏ってしまうのです。
ですから、優勝できる「タイミング」も重要になってくるということです。
そこでいうと、2008年準優勝の「オードリー」の見切りは素晴らしいと、塙さんは称賛しています。
「オードリー」は、「M-1」では不利とされている「キャラ漫才」で挑みました。
しかし、春日さんのズレた言動、いわゆる「ズレ漫才」という新たな漫才の形式を生み出し、その斬新さゆえに、敗者復活からいきなりファイナルラウンドまで駆け上がりました。
それは、ネタの斬新さ、勿論クオリティの高さもあるでしょうが、そこに「無名のコンビが敗者復活から勢いを乗せて上がってきた」というドラマも、かなりプラスに働いてたといっていいと思います。
しかし、ネタが完璧だった「NONSTYLE」の前に惜しくも敗れ、準優勝で終わりました。
しかし「オードリー」が素晴らしかったのは、その翌年から「M-1」への挑戦をやめたことです。
自分達は2008年の年がピークだったと判断し、挑戦をやめたのです。
それからの「オードリー」の活躍ぶりといったら、周知の事実だと思います。
塙さんは、オードリーは試合に負けて、勝負に勝ったと評しています。
そして塙さんは、コント漫才の「和牛」を引き合いに出し、「自分らしさ」について語っています。
「M-1」という大会を陸上競技に例えるなら「100メートル走」だといいます。そこへいくと、ロースターター中距離型の「和牛」は、「M-1」という大会には不利ということになります。
しかし、だからと言って、「和牛」は「M-1」用に自分達のスタイルを変える必要はないと言います。
なぜなら、長い芸人人生において、「M-1」は決してゴールではないからです。
そして、「M-1」を意識し過ぎてしまうあまり、自分達の持ち味をなくしてしまうこともあるため、塙さんは、若手たちには、優勝を目指さない方がいい、とアドバイスするそうです。
心からそう思えることで、初めて、自分らしさが出てるくるからだと。
なかなか胸熱な発言ですね。
最後に
あまりにも長くなってしまったため、ここで終わりにします。
個人的には僕の好きな「くりぃむしちゅー」や「三四郎」、また若手トリオ「四千頭身」についても言及されているのが胸熱でした。
さて、今年も「M-1」の時期が近づいてきましたね。
今年はどのコンビ、はたまたトリオ(四千頭身に期待してます)が優勝するのでしょうか。楽しみです。
ありがとうございました。