まず、「なぜ人は嘘を『つける』のか」と、問うた方がいいかもしれない。
この問い方は、人間を他の動物と比較すること前提の問い方である。
となると、結論から言えばこうなるだろう。
「人間は他の動物より知能が発達し過ぎたから」
と。
では具体的にはどう知能が発達し過ぎたのか。
「嘘がつける」に関連付けるとしたら、以下が挙げられるだろう。
・人間同士の言語の発達(※仮)
・意識の高次化(未来を予測したり、想像したりする能力)
ざっと挙げれば以上の2点だろう。
1点目の「人間同士の言語の発達」は、当たり前の話だが、共通言語がなければ嘘はつけない。
犬や猫やパンダやゴリラに嘘をつくためには、その動物との共通言語がなければならない。(まあ、稀に動物と会話できるという人がいるけれど、それは置いておこう)
人間は人間同士の言語が発達したがゆえ、嘘をつくことができるといえるだろう。
(※「仮」としているのは、必ずしもそうとは限らないのではないかと、あとから考えてそう思ったからである。例えば、犬に一方的に人間が嘘をつくことはできそうである。犬の側は嘘をつかれたと思っていなくても、人間が一方的に嘘をつく。例えば、今日17時に帰ると犬に話しかけ、故意に21時に帰ってくるなど。そして嘘をついた人間は、自分が言っている言葉が犬には理解できていると思い込んでいて、その犬への発言の直後から、その発言への罪悪感に苛まれているとしたら・・・、これは立派な「嘘をついた」ことにはならないだろうか)
2点目の、「意識の高次化(未来を予測したり、想像したりする能力)」は、例えば、「なぜ人間だけが自殺をするのか」という問いを考えてみると分かりやすい。
人間以外の動物は、その一瞬一瞬、刹那的に生きているようにみえる。
また、いつ自分が死ぬのか、そして、「自分の終局点」から「現在の自分の地点」との距離を測ることもできないようにもみえる。
小浜逸郎著「なぜ人を殺してはいけないのか」の第2章、『自殺は許されない行為か』の中で、著者は、人間以外の動物は、「自分自身の有限な生涯」についてのイメージができないでいると述べる。
自由に企画を立てたり、約束を交わすことをするためには、自分の生涯を見通す具体的なイメージの意識を持っていなくてはならない。
自分の一生という視野、ある地点で必ず死ぬという自覚・認識、これらを持ち合わせていない動物と人間とでは、時間に対する意識がそもそも根本的に異なっているのだと。
そのような生涯の意識を持っている人間だからこそ、「自分の終局」と「現在の自分」の距離を測り、未来に訪れるであろう死のイメージを、現在の自分の状況にまで持ってくることができてしまう。
気の落ち込み、ネガティブ、憂鬱さなどは未来を想像できるからこそ引き起こしてしまう症状だと思う。
それ故、自ら早々に死を選ぶという発想が生まれる。
以上のことから、自殺は人間固有の現象ということが結論づけられるだろう。
つまり、人間は、「意識の高次化(未来を予測したり、想像したりする能力)」の能力を獲得してしまったのだ。
そしてそれは、「嘘をつける」ことに結びつかせることができる。
嘘をつくためには、企画したり約束するのと同様、未来のイメージを持てなければならない。
つまり意識の高次化ということである。
このようなわけで、嘘をつくためには、「人間同士の言語の発達」、そして特に、「未来を想像できる能力(意識の高次化)」が必要、前提となるわけである。
では、なぜ人は嘘を「つく」のか。
一番に思いつくのは、「想像した未来からの逃避」、もしくは、「自己防衛」といったところだろう。
例えば、母親からこれは絶対食べちゃだめと言われた冷蔵庫の中のケーキを、その子供が母親のいない時に食べてしまう。
この時、その子供は、母親との約束を破ってしまった現状から、「未来のいくつかの可能性」を想像するだろう。
・このままだと母親から怒られる可能性
・食べたことが発覚しても正直に話せば怒られない可能性
・この先直近に、約束を破ったことなど度外視してまうような、不意な現象との遭遇の可能性
などなど。
そして嘘をついてしまう人間は、ネガティブな思考に取り憑かれてしまっていて、そこからの回避・防衛を選択してしまう。
上記でいえば、一番可能性がある「このままだと母親から怒られる可能性」が高いと判断し、そこからの回避・防衛=嘘をつくこと、をしてしまうのだろう。
嘘をついてしまう直前の実存状況としては、約束を破ったことがバレて母親に怒られるのが嫌だ、または、約束を破ったことに対する母親の落胆、悲しみ、怒り、それらの表情をみるのが嫌だ、などのとにかくネガティブな感情・思考に支配されているのだろう。
また、嘘をつくための条件として、選択肢が2つ以上なければならない。
そしてその選択肢を生み出すためには、やはり未来の想像力が必要となる。
つまり、まとめると、嘘をつくことをするためには、
・未来の想像力があること
・選択肢が2つ以上あること
・嘘をつく直前の実存状況がネガティブな思考に支配されていること
が必要な条件になるのだろう。
また、嘘をついても善いのではないか、と言われる状況というものもある。
つまり、嘘をつかれる当人にとっては知らぬが仏という状況。
このような場合の良し悪しは置いておくとして、このような場合も、正直に話した場合の未来のその対象者の悲しい表情だったり、怒りの表情だったりと、嘘をつこうとしている当人の未来(嘘をつかれる対象者にフォーカスした場合の未来)をネガティブなものに占領されてしまっている。
そのような状況を回避するために、その人は嘘をつく。
嘘ををついた結果が善かったのか、悪かったのかなんて本当のところは分からない。
嘘をつかれた当人にしてみれば、自分を欺いたその人を恨むかもしれない。
しかし、嘘をついた方にも文脈があり、心底その対象者のことを考え、思った末の嘘なのかもしれない。
自分のことをそこまで考えてくれたのか、思ってくれたのか、そのように考えてみると、嘘をつかれた当人も、少しは嘘をついた人間のことを許容できるのかもしれない。
(いや、わかりません。別に許容できるかどうかはここではどうでもいいことだ。)
とにかく、「嘘をつく」ことをするのは人間だけがすることで、それは、未来を想像できる能力を身につけてしまい、ポジティブとネガティブの概念を生みだし、どちらかと言えばポジティブな方を選択し、ネガティブを回避したい傾向にあるため、人間は嘘をつくのだと思います。
終わります。ありがとうございました、