ハイハイで散歩中

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水曜日のダウンタウンの人気企画「モンスターハウス」が完結したので、感想というか、分析してみました-人間の見下したい心理と怖いものみたさ-

先日、水曜日のダウンタウンの人気企画「モンスターハウス*1」が最終回を迎えた。
僕は毎週面白く観ていて、画期的であり、新感覚であり、なんだかすごい企画だなと思った。
毎週放送終わりのツイッター上なんかでは、賛否両論問わず、異様な盛り上がりを見せていたと思う。
だからなにがそんなに面白かったのか、偉そうに少し分析してみようと思う。

クロちゃんという奇怪な人物

まずはこれだろう。恐らく、僕はこんな人物今まで見たことがない。「マジやばい」、「とにかくやばい」と形容したくなる人物ナンバー1だ。
良い意味で物凄く視聴者を裏切ってくる。その行動は理解不能で、常軌を逸している。
時に物凄く素直で感情をダイレクトに表に出し、時にこの先枯渇するなど到底思わない、湧き出る湯水のごとく嘘をつく。そして策士であり、ポエマーであり、隙あらば姫を守りたがる騎士(ナイト)でもある。
ある意味で物凄く魅力的な人物だ。最低でもあるが、最高でもある。
僕は幾度となく「こいつ最低だな」と思ったが、しかしその一方で、あんなに素直に相手に気持ちを伝えることができ、歯の浮くようなセリフを照れることなく言い、そして参加している女の子も言っていたが、優しく、気遣いができるクロちゃんを、少し羨ましくも思う。
恐らく本当に、そのような優しさや、気遣いや、情熱、タイミングの良さなどから、クロちゃんに惚れてしまう女の子もいるのだろうと思う。いわゆるモテ要素がクロちゃんにはあり、それもなんか魅力というか、不思議な面白い人物像を作り上げている所以だと思う。
放送中にもクロちゃん自ら言っていたが、「モンスターハウス」という企画は当たり前だが、やはりクロちゃんがいるからこそ、成立する企画なんだと思う。

蔑(さげす)みたい、見下したい心理

放送中にもバナナマン設楽が言っていたが、こんなにも人気企画なのに、その人気の立役者がえげつないくらい嫌われているのも珍しい。というかそこが面白い。
普通の恋愛バラエティではあまり起こりえないことだと思うが、人気者でほぼ主役と言っていい人物の恋愛成就をほとんどの人が望んでおらず、ある悪意をもって「フラれろ!」と切望しているのである。これは画期的なことだ。
クロちゃんという人物は最低最悪であり、そのような評価は、ほとんどの人が今までの水曜日のダウンタウンを観ていたら同意するだろうと思う。
だが、「人気がある」というのは、必ずしも好感を多くの人に持たれているからとは限らない。嫌悪感を多くの人に持たれている場合だって考えられる。
人間は時に、他者を蔑む。もしかしたら、他者を称えたり尊敬したりするより、蔑み、見下し、マウントをとっている(と思っている)方が多いかもしれない。
人間はそのようなことが根本的に好きなんだと思う。だから、他者との会話で登場する、他人の不平不満、悪口はいつまでたってもなくならないのだろうと思う。
そしてそういう会話は盛り上がったりする。その場にいない人の悪口を何人かで言い、何人かで共感し、その悪口対象を仮想敵に仕立て上げ、仲間意識を強固にする。
または仲間意識を強固にするというよりは、そもそも他者との会話が面倒だったり、なにを話せば良いのか分からなかったり、または同席している他者と会話で揉めたくない場合、その外側にいる第3者(悪口対象者)を話題にあげ、当事者達を棚にあげながら第3者を攻撃することで、その場の当事者達のなんらかの責任を回避でき、全て第3者に投げることができる。つまり、すごく無責任な、気楽な会話が成立する。
「モンスターハウス」では、視聴者の仮想敵がクロちゃんだ。
視聴者はその仮想敵を無責任に、気楽に、見下す。
人間はそのような行為が好きだし、恐らくやめられない。
そのような心理状態を餌に、そもそもドッキリ番組というのは成り立っているのではないかと思う。
他者がドッキリに引っ掛かり、それを無責任に笑いたい。そのような心理。

そしてもう一つ人間が行ってしまうことがあり、それは、「怖いものみたさ」というやつだと思う。
分かりやすいので言えば、「ホラー映画」や「スプラッター映画」などがそうで、怖いと思ったり、残虐だと思って目を伏せたくなったり、手で顔を覆っているのにもかかわらず指の隙間から思わずみてしまう、クレヨンしんちゃんのマサオ君のような心理である。分かりにくいか。
そのような心理が、クロちゃんにも向けられているように思う。
クロちゃんの奇行、理不尽さ、倫理感を逸脱した行為など、そのようなグロテスクさを前に、「キモーい」、「やばーい」、「マジ無理」とか思っているのにもかかわらずそれをまた欲してしまう。ある種の中毒性がクロちゃんにはあるのだと思う。

 

展開の読めさな

「モンスターハウス」以前の、水曜日のダウンタウンでのクロちゃん関連の企画は、いわゆるクロちゃんを陥れるドッキリが多かったが、「モンスターハウス」の後半からは、視聴者も、もはやクロちゃんが次にどういう行動に出るのかの予測がつけず、しかもなにやら「モンスターハウス」に参加している女の子がクロちゃんに惚れているのかもしれないという不測の事態も起こってしまい、視聴者がクロちゃんを追っかけるというか、むしろクロちゃんが視聴者(モンスターハウスの女の子達も例外ではなく)を手玉に取っているんじゃないかという、逆転現象が起きていたように思う。
それはさながら、「サスペンス映画」や「ホラー映画」を観ているようで、「モンスターハウス」の参加者がクロちゃんの魔の手から逃れられるかをハラハラドキドキしながら観るようであり、その時、ようやくこの「モンスターハウス」というタイトルの意味が僕は理解できたように思う(いや、本当の意味は分かりませんが)。
そして、「サスペンス映画」や「ホラー映画」はまだフィクションだが、「モンスターハウス」はドキュメント(多少の台本感は拭えないが、それは仕方がないことだと思う)であり、そのことも一層、エンターテイメント性が増した要因だと思う。

 

最後に

そのような、クロちゃんの異常なキャラクター、視聴者(人間)の心理、予想外の出来事、展開の読めなさというエンターテイメント性などから、この「モンスターハウス」は多くの視聴者から人気を得られたのだと思う。
また、最終回最後には、クロちゃんの今までの愚行を、「許せる」か「許せない」かの判断を視聴者に決めてもらい、「許せない」が多数を占め、その結果、豊島園に設置された檻にほぼ24時間収監されるという罰が行われた。
この罰の内容はまあいいとして、それより、僕がツイッター上で見かけた、「罰ゲームの行く末を番組側が決断するのではなく、視聴者に決めさせ、責任の所在を番組側が回避している」、というようなツイートには、なるほどなと思わされたし、なんか水曜日のダウンタウンらしくていいなと思った。
いや、実際そんな意図があるかどうかは勿論分からないが、もしそうだったとしたら、最後までとことん視聴者を利用しているなと思って、なんかいいなと思ってしまうのだ。
視聴者に媚びるのではなく、番組側が視聴者を引っ張って行くような、そういう番組が面白くて僕は好きです。
「モンスターハウス」面白かったです。

以上です。ありがとうございました。

 

*1:「モンスターハウス」・・・TBS系バラエティ番組「水曜日のダウンタウン」の人気企画で、お笑い芸人安田大サーカスのクロちゃんを入れた複数の男女が恋愛をしていく異色リアルバラエティー。