ハイハイで散歩中

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タブ式ブラック缶コーヒーの消失

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僕はよく、駅に設置されている自動販売機で缶コーヒーを買い、それを飲みながら電車を待つ。

僕にとってその時間は、自分を保つために重要な効果をもたらす。

そして、その行いには2つ、とても重要な条件がある。

1つ目は、「缶コーヒーはブラックでなければならない」、というもの。

そして2つ目、これがかなり重要なのだが、「その缶コーヒーは、キャップ付のボトル型ではなく、タブ式缶コーヒーでなければならない」、というもの。

しかし最近、最寄り駅の全ての自動販売機から、タブ式ブラック缶コーヒーが消失してしまった。そういえばタブを取るとウド鈴木が出現するという噂があったな。ウドの消失。

どうやらこのホームでは、タブは必要とされていなく、キャップ缶の方が売れるとの決定がくだされたようだった。

僕はハッキリ言ってタブ派だ。タブタブ。耳たぶ。語感もいい。失ってから初めて、タブの存在の大きさに気付かされた。


気付かされたので、少しだけ「タブ式」のことをWikipediaを中心に調べました。

僕は、恥ずかしながら、「タブ式」というのは、イコール「プルタブ式」のことだと思っていた。

しかしそれは間違いであり、タブ式にも色々種類があることが分かった。

まず、缶切り等の道具を使用せず、簡易にフタを開けることができる缶フタのことを、「イージーオープンエンド」というらしい。しかも略称で呼ばれることがあるようで、「Easy Open Ends」の頭文字を取って、「EOE」と表記される。なんだかカッコいいので以下、略称で表記します。

さらにその「EOE」は2種類に分けることができ、フタ全体が開かれるものを、「フルオープンエンド(以下FOEと表記)」、部分的に開かれるものを、「パーシャルオープンエンド(以下POEと表記)」という。

この、FOEは主に食品などの、プリン、ゼリー、粉末等のフタなどに多く用いられているという。

そしてそして、今回重要なのが、POEの方だ。

POEはさらに2つに分かれる。

それが、「プルタブ式」と、「ステイオンタブ式」だ。

この2つの違いは、開缶の際、タブが本体から「切り離される」か、「そのまま残る」かの差異にある。「プルタブ式」は切り離され、「ステイオンタブ式」はそのまま残る。そのまま残る(ステイ)から「ステイオン」ということなのだろう。

結論からいうと、日本に今ある飲料缶は、ほとんど「ステイオンタブ式」である。

最初は「プルタブ式」であったのだが、切り離されたタブのポイ捨てにより、それを食べてしまう動物や、海岸で足を切ってしまう幼児などの被害が出たため(これを散乱公害と呼ぶらしい)、80年代頃から「ステイオンタブ式」が広がり始め、90年代にはほとんどの飲料缶が「ステイオン」になったという。

つまり僕がいつもお世話になっているのは、「プルタブ」ではなく、「ステイオンタブ」であった。なぜ僕がプルタブと間違えて覚えていたのかは謎であるが、なんとなく、プルタブの方が語感がいい。なのでこの記事ではステイオンもプルタブと表記したいところだが、そこはぐっと堪えて、あいだをとって、単に「タブ」とだけ表記することにする。

 

閑話休題

 

では、タブのなにがそんなに良かったのか。

色々要因は思いつくが、まずは、「開けたらそれっきりの一回性」ということだろう。

いやいやキャップ缶だって同じことが言えるじゃないか、と思われるかもしれないが、同じじゃない。

キャップ缶は、キャップを閉めることで、飲むのを中断でき、そしてそのまま保持し違う行為に移行することもできれば、思い出した時にまた飲むのを再開できる。キャップという機能によってオプションが増える。

しかし、そのことによって、その缶と暫く付き合わなければならなくなる。

そもそもキャップ缶は、タブ缶より量が多い。恐らく短時間で飲み切るようには作られていないのだろう。だからこそのキャップなのだろう。

キャップ缶はそういう意味で、少しイタイ表現になるかもしれないが、僕を暫く縛りつけるのだ。飲んでいない時も、頭の片隅に居座り続ける。

 

また、僕が特に重要視しているのは、コーヒーというよりも、それを飲んでいる時間、その一服のひとときだ。

キャップ缶は、そのひとときを、存分に味わえない。というのも、飲むのを中断しキャップを閉めることで、その時間、ひとときはその時点で終了した気持ちになるからだ。

僕はそのひとときに、浸り尽くしたいのかもしれない。

キャップを閉めるという行為によってそれは阻害される。

キャップがない、開けっ放しのタブは僕を阻害しない。僕のその時だけの自由な時間を阻害しないのだ。なんかこれが一番の理由な気がしてきた。タブの開放性は、自由を連想させる。

恐らく進撃の巨人のエレンも、タブ派なんではなかろうか。

 

また、今思うと、僕は開放を好むような気がする。

飲食店でもテラス席があったらそっちに座りたいし。

開けっ放しの本屋や雑貨屋とか、カッコいいと思ってしまうし。

あと、公園とかすごい好きだし。

 

最後に、むちゃくちゃダサいことを言うが、タブは、なんかアウトローな感じがする。

アウトローってカッコいい。

分かった。僕は単にカッコつけたいだけなんだ。

カッコつけられるものの象徴がタブなんだ。

僕はタブのカッコよさを見出していたわけだ。なるほどね。

 

というわけで、駅の自動販売機の品目を決めている方々、タブを求めている輩もいるので、少なくとも駅のホームにある自販機の内1台は、タブを入れてもらえると嬉しいです。

終わります。

ありがとうございました。