ハイハイで散歩中

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バンプの「Merry Christmas」からみる、「幸せ」の正体とは@星降る引きこもりの夜.com

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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


さて、正月ムードを一気に度外視して、クリスマスのムードにします。

クリスマス付近になったら時折頭の中に流れてくる音楽があります。

それは、山下達郎の「クリスマス・イブ」でもなく、竹内まりやの「すてきなホリデイ」でもなく、はたまたダウンタウンの「チキンライス」でもなく、僕的クリスマスソングは、BUMP OF CHICKENの「Merry Christmas(2009年発売)」です。


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この「Merry Christmas」、勿論クリスマスソングにもぴったりなんですが、僕はクリスマスに限らず、実は一年中聴いてもその味を充分に味わえる楽曲ではないかと思っています。

何故かと言えば、この楽曲は、「幸せ」についての楽曲であるように思うからです。

サウンドスケープ(音風景)自体はダイレクトにクリスマスを想起させるものとなっていますが、歌詞の部分においては、「クリスマス」というトピックを通して、いまいちその実体を掴みにくい抽象的な事柄「幸せ」をより手の届きやすい位置に配置して、輪郭を明瞭にしているように思われます。

いわゆるバンプ流のクリスマスソングになっているので、楽曲発表当時は、「バンプがクリスマスソングってまじかー。似合わねー。」と厄介な身勝手こじらせファン的なことを思っていても、いざ聴いてみると、「あーやっぱバンプはバンプのままだった。オレらの知ってるバンプはどこにも行ってねー」と、次なる厄介なフェーズに乗り上げた強化系身勝手こじらせファン的なことを思うのでありました。

しかし、そのように思ったのは必ずしもお門違いではなく、当時の雑誌のインタビューで、事務所かレコード会社か誰かからクリスマスソングを作ってくれと依頼されたバンプですが、「いや、一般的なクリスマスソングはオレらには作れない。オレら流のクリスマスソングなら構わないですけど」的な経緯があったと藤原氏が語っていたのを読んだ記憶があります。

そのような経緯、思いで作ってくれた楽曲だからこそ、単なるクリスマスソングには収まらない、僕のように「幸せ」に関しての楽曲だと捉える奴が現れたり、または別の解釈をする人が現れたりなど、聴き手によってその感じ方が変わる楽曲、そのような意味で普遍的な楽曲になったのではないかと思います。

歌詞の部分で僕がぐっときたパンチラインは、


いつもより/ひとりが寂しいのは
いつもより/幸せになりたいから
比べちゃうから


です。この3行目の、「比べちゃうから」で、「幸せ」という得体の知れない概念の本性をかなり暴いている思います。

「幸」という漢字は、「手枷(てかせ)・手錠」の象形文字と言われています。

死刑や体の一部を奪う刑を行っていた古代中国において、そのような刑を免れ、手を拘束される「手枷・手錠」の仕打ちだけで済む罰は、他の刑と比較するととても軽罰であり、なんてラッキーなんだ、自分はなんて幸せなんだ、という思いがけない僥倖(ぎょうこう)的由来があると言われています(諸説あるそうですが)。

つまり、「幸せ」とは、比較した時に顕在してくる、相対的な概念ということです。

だから上記の歌詞の例で言えば、「いつもより」というのは、平日と、特別な日(クリスマス)を比較してしまっていることを示しており、もっと言えば、特別な日に楽しそうにしている人達と、現状の自分を比べてしまっている、ということだと思います。

そしてその2つの立場の差異を自覚することによって、「幸せ」という概念の扉が開かれることになるのだと思います。

ただ、本楽曲では、じゃあ「幸せ」は比較することで顕在化してしまう概念なのだから、そもそも他人と比較なんてしなければ、「さみしい」とか、「幸せになりたい」とか、自分を不幸に思ったり、他人を羨ましく思ったりしないのではないか?じゃあ諸君よ今すぐに他人と比較するのはやめたまえ!というようなお説教的帰結には至っていません。


許せずにいる事/解らない事/認めたくない事/話せない事/
今夜こそ優しくなれないかな/全て受け止めて笑えないかな/
僕にも優しく出来ないかな/あなたと楽しく笑えないかな/
笑えないかな


とバンプは歌っています。

あまり歌詞の分析をし過ぎるのも野暮だと思うので詳しく書きませんが、自分が幸せになりたいと利己的に思うのではなく、他人に優しくありたい、そしてただ楽しく笑いたい、という「幸せ」という概念自体を忘却させるような歌詞になっているように感じました。

そして、その後歌詞では、流れ星をいつものように見逃してしまった自分ですが、でも、その流れ星を誰かが見られたのならそれは素敵なことじゃないか、と思えるようになります。

僕がぐっときたのはそのあとの歌詞で、


そんな風に思えたと/伝えたくなる/誰かにあなたに/伝えたくなる/
優しくされたくて/見て欲しくて/すれ違う人は皆/知らない顔で/


という部分です。僕はこの歌詞は人間の真理を歌っているんじゃないかと密かに思っています。SNS等に限らず、色々な状況下で発生する承認欲求について、悲観的に扱われることが多い世の中ですが、そもそも人間て誰かになにかを話したいし伝えたいし、そして見られたいし優しくされたいんだよな、それってしょうがないことだよな、と上述した「比較してしまう自分」を完全には否定していないように見える所が、そしてそのようにこの楽曲を概ね締めているところが、僕的胸アツ展開でした。

本楽曲もそうですが、バンプの作る楽曲で大体いつも思わされるのが、「優しい」、そして「あたたかい」、ということです。

最近ではそんなに聴き返すことが少なくなってしまったバンプですが、ふとした時に聴いてみると、やっぱりバンプって良いな、と思わされるので、嬉しくなるし、そしてそれを誰かに伝えたくて、こうやってブログに書き綴った次第です。

 

また、バンプとは関係ないのですが、最近聴いていて、なんかこの時季に合うな〜と思った楽曲を紹介してこのブログを終わりにします。

それは、でんぱ組.incの「星降る引きこもりの夜」です。

まあぶっちゃけこの時季に限らずいつ聴いても、今に合うな〜と思いそうなんですが、どこか冬の冷たい夜空を勝手にイメージして聴くのが定着してしまったので、今に合うな〜とすごく思っています。

また、楽曲提供したのが、神聖かまってちゃんの「の子」だと後から知って、好きなアーティストだったので、嬉しくもなりました。
この楽曲も、寄り添ってくれる、優しい楽曲になっています。
気になった方は、バンプの「メリークリスマス」と併せて、聞いてみてください。

本年も、「星降る引きこもりの夜」の歌詞にありましたが、頑張りすぎず、マイペースにやっていけたらと思っています。

それでは!

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