ハイハイで散歩中

面白いと思ったものをただただ紹介したり、またはただの雑記に成り果てそうです。

ハイハイで散歩中

シャラポワよ、ありがとう。

f:id:nocafein:20200302054115j:plain


先日、テニス界の妖精と謳われた、元世界ランキング1位のマリア・シャラポワが引退を表明した。

headlines.yahoo.co.jp

 

僕がシャラポワを認識したのは、遡ること2003年、僕が中学3年生の頃だったと思う。

僕が休み時間だったか、放課後だったかで廊下に出たら、壁際に設置されているロッカーの前で僕の友人と、その彼女がなにやら言い争いをしていた。

話を聞いてみると、僕の友人が自分のロッカーの扉の内側に、なにやら女性の写真を貼り付けていたことがケンカの要因であったようだ。

僕はその女性の写真とやらを目に入れたくロッカーの中を覗いてみると、そこには新聞の切り抜きが貼られていた。

それが僕とシャラポワの出会いだった。

 

その切り抜きは、たしか当時若干16歳の美しい少女が、ウィンブルドン4回戦に進出したのを仰々しく記事にしたものかなんかだったと思う。

その時は、正直その記事を見てもなんとも思わなかった。

強いて思ったことといえば、彼女に文句を言われながらも、ボケーっとその記事を見ている僕に向かって必死にシャラポワの良さを力説するその友人に対して、「いや、ロッカーになんでこんな記事貼ってんだよ。わざわざ貼る意味が分かんないよ。そりゃ彼女も怒るに決まってんだろ」ということくらいだった。


そんなシャラポワとの邂逅から、僕の頭にぼんやりとしたシャラポワ像が住み着くようになって、シャラポワの情報をキャッチするアンテナもニョキッと生え、そのアンテナが月日の経過と共に徐々に敏感になってきたのを自覚し始めた頃、2004年のウィンブルドンが開幕した。

そして、シャラポワがその年初優勝する頃には、僕の中のシャラポワ像はハッキリとした輪郭を手に入れたのであった。

優勝が決まった直後、コートに泣き崩れるようにしゃがみ込み、そして一目散に父親の元へと駆け寄って喜びを分かち合い、おまけに試合に来れなかった母親に携帯で電話をかけるパフォーマンスをするといった、試合中の闘志剥き出し緊張感ピリピリのテニスプレイヤーから、17歳の少女へと一気に戻るギャップは、僕だけではなく多くの人の心をグッと掴んだのではないだろうか。




また、僕なりのテニス観戦の楽しみ方を教えてくれたのもシャラポワだった。

先述したが、シャラポワ(に限らず多くの選手もそうだろうが)はコート入場から試合が終わるまで、闘志を剥き出しにし、神経質になり、ものすごくピリピリした雰囲気を纏っている。

そしてその緊張感は、試合中の長いラリーの結果どちらかにポイントが付与される際に訪れるカタルシスに繋がってくる。

勿論そのそれぞれの部分的カタルシスは、試合終わりの最終的な大きなカタルシスへと結合していく。

この、耐えて耐えて耐え抜いたあとのカタルシスが、テニスの醍醐味だと僕は勝手に思っている(僕は特段テニスに詳しくなければ、マメに観戦もしていません。悪しからずです)。

そのような享受の仕方を教えたくれたのは、シャラポワが最初、きっかけだったのだ。


そしてもう一つ僕がテニスを観る上で楽しんでいるポイントは、これも先述したが、所々で垣間見れる選手の「神経質さ」にある。

そしてその神経質さを、僕は特に「ルーティン」に見ている。

「ルーティン」とは、元野球選手のイチローでお馴染みの、あのお決まりの一連の所作のことだ。

ネクストバッターサークルでのストレッチ、そしてバッターボックスでの、腕の袖を引っ張りながらバットを立てる所作。

誰しも一度は見たことがあるのではないだろうか。

そもそもなぜ「ルーティン」を行うかといえば、緊張する場面において、メンタルを安定させ、集中力を保つ効果があるからだそうだ。

僕は、その一連の所作に、神経質さ=集中力=ピリピリした雰囲気を感じ取っているのだと思う。


テニスにおいて、よくルーティンで取り上げられる場面は、サーブを打つ時だろう。

赤土の王者と称されるラファエル・ナダルは、打つ前に、ボールの確認やら、コートの土を払う仕草や、鼻を触ったり、髪を耳にかけたりと、多くのルーティンをこなす。

同じくシャラポワも、打つ前に髪を耳にかけ、ボールをツーバウンドさせてからサーブを打つ。

またサーブの場面以外にも、シャラポワは、休憩中に必ず2本のドリンクを順番に飲んだりする。

先にあげたナダルなんかも、2本のドリンクを用意していて、飲み終わったあと、2本のラベル面を几帳面にコートに向くように並べている。

このような「ルーティン」を、緊張感溢るるテニスの試合の流れの中で見ると、神経質さの象徴のように際立ってみえ、またそれが試合の緊張感をさらに高め、そして部分的、または最後のカタルシスをより一層味わい深いものにしてくれていると思うので、僕はこの「ルーティン」をとりわけ重要視して見ているのだと思う。



シャラポワの魅力の話に戻るが、僕はシャラポワの「勝利への貪欲さ」にも好感を持っている。

ドーピング問題で謹慎をくらい、1年3ヶ月ぶりにコートに戻った復帰戦、2017年全米オープン初戦での、バスルーム・ブレイク(トイレ休憩)をとった行動がダーティーな作戦として非難を浴びた。

勢いに乗る相手のリズムを崩す効果のあるその行動は、とてもスポーツマンシップに乗っ取った行動ではないということらしい。

僕としては、一応ルールの範囲内の行動なので、ダーティーだろうが、無様な勝ち方だろうが、あくまで勝ちにこだわるその強かさに胸打たれるものを感じずにはいられなかった。


また、シャラポワといったら、ボールを打つ時の「唸り声」もトレードマークの一つだろう。

なんとウィンブルドン史上、1番大きな声を出すそうだ(101デシベルを計測してるそうで、それは、電車が通るガード下にいる時と同じ大きさの音だそうだ)。

その唸り声も賛否両論あったそうで、なんともアンチが多くいる選手だったのかがわかる。

唸り声が騒音レベルでうるさいと非難されようが、ダーティな野郎と言われようが、勝利のために貪欲にひた向かう姿勢、そういうのも全て含めて、僕はシャラポワに魅了されていたのだ。

そのような存在は、エンターテインメントとしても面白い。

スポーツでもなんでも、なにかをエンタメ化させる力がある人はすごいと思う。

今一度、シャラポワに感謝したい。

 

最後に、僕とシャラポワを引き合わせてくれた、ロッカーにシャラポワを貼り付けていた友人に、先日こどもが生まれた。

女の子だそうだ。

写真を見せてもらったが、どことなくシャラポワに似ているようで、または似ていないようでもある。

そんな、赤ちゃんに、そして、シャラポワにこの曲を捧げたいと思う。

ベイビーレイズJAPANで、「Pretty Little Baby」。

 

 

ありがとう。そして、おめでとう。

以上です。ありがとうございました。