ハイハイで散歩中

面白いと思ったものをただただ紹介したり、またはただの雑記に成り果てそうです。

ハイハイで散歩中

難解であるということ。

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先日、とある知人と富士山の話になり、なかなか粋な発言が飛び出した。


「富士山はたまに見えるからいいんだよね」


富士山を見ようとすぐそばまで近づいても、富士山の全容は拝めない。
それではある程度の距離をとって、然るべき場所に立てば見えるかといえば、見える時もあれば、見えない時もある。
その姿の露出具合は、天候によって非常に左右されやすいものとなっている。
常に拝めるわけではないので、だからこそ、見えた時の感慨もひとしおで、だからこそ、「たまに見えるからいい」。

それは富士山の外観だけに適応可能なわけではなく、富士山の中でさえそのように思われる。
僕が富士山に登った時、登山中にその場から見える外の絶景に息を飲んでいたら、その数秒後には辺り一面曇に覆われて、さっきまでの景色とはまるで違うものになってしまった。
富士山ではこのような現象が頻繁に起こる。
刻一刻と様相は変わり、今見ている風景が当たり前ではないと実感させられる。
だからこそ、もしかしたら2度と見ることができない絶景に、たまにしか見えない絶景に、感動するのかもしれない。

また、そのような希少性だったり、目まぐるしく変わるその全容の掴めなさは、享受する者を飽きさせない効果もある。
ある意味では、富士山の登山客は、「富士山」というアトラクションを享受しているともいえる。
たまに見える風景の希少性、目まぐるしく変わる全容の掴めなさ、山頂付近になると険しくなる登山ルートなど、それらギミックに支えられたアトラクションの享受。
このようなアトラクションは一回だけでは物足りない。
だからこそ、次も登りたくなるのかもしれない。
まあ、僕は一回しか登ったことがないのだが。

つまり、富士山は、常に全容不明のアトラクションであり、エンターテイメントであるのだ。

 


全容不明さ、または、容易には理解できないある種の難解さは、先にも挙げたが享受する者を飽きさせない。
僕は最近、1960年代・70年代のロック、具体的には、プログレッシブロック(通称プログレ)やそれと親和性があるジャズロックを好んで聴いている。
とりわけ、「ソフトマシーン」や「ニュークリアス」などを今はヘビロテしているのだが、その界隈のグループの音楽性は少しクセが強い。
クセが強いというのは、つまり難解であるということだが、特に「ソフトマシーン」の名盤と言われる3枚目のアルバム「Third」などは、マジ難解イミフな所が多々ある。


「Third」の一曲目「Facelift」なんかは、冒頭数分にもわたり、イミフ的ノイズの連続で、初めて聴いた時は、訳分からん、とイヤホンをブン投げそうになったし、最後の曲「Out-Bloody-Rageous」は、終盤に訪れるピコピコ電子音が永遠に続くと思われ、まるで宇宙に吸い込まれてしまうじゃないかという恐怖で頭がイカれちまいそうになって、イヤホンをブン投げた。
ただ、全体的に意味不明なのかといえば、そうではなく、むしろ聴き心地の良いところも満載なのだが、ただ攻めすぎているアーティスティックな部分があまりにも強烈なので、「難解である」、と総評したくなってしまうのだ。
でもまあ、やっぱり、このままこう行くんだろうなー。というこちら側の予想は確実に裏切ってくるので、やはり「クセが強い」と言わざるをえない。あと単純に1曲が長いし。
まあ、プログレというのは得てして転調があり、曲が長いので、それはそういうものだと思わないと聴けないというか、そこが醍醐味でもあるので、全然いいのだが。

その、「難解である」ソフトマシーンを僕が好んで聴いているのは、単純にジャズロックというジャンルに魅了されているというのもあるのだけど、やはり、「難解さ」の中にも、「良い」と思える箇所があることと、その一筋縄ではいかない、一聴しただけでは良さの分からない、その「全容不明さ」、つまり「難解さ」にあるのだと思う。
富士山の時にも述べたが、やはり「全容不明」、「難解」であるものは、中々飽きがこない。
その曲を理解したくて、良さを求め感じたくて、何度も聴き続けてしまう。
一旦は「分かった」、と思っても、次聴いた時、また「分からない」となってしまい、そしてまた理解したくて、良さを求めたくて、聴いてしまう。
なかなか実体が掴めないので、いつまでも飽きがこない。
どうやら僕はそのようなものが好きらしい。

 

僕は、すぐ読めてしまう自己啓発本だったり、とても分かりやすく書いてある本をあまり好まない。
そのような本は、僕が既に知っていることだったり、既に考えたことがあることだったりするので、読んでもあまり意味がないと思うし、単純につまらないと思ってしまう。
だから少し難解な方が、よりその本に集中できるし、理解しようと色々アドレナリンも出るし、理解できたと思った時のカタルシスなんかも気持ちがいい。
僕は色々格闘したいのかもしれない。
投げ飛ばしたり、投げ飛ばされたりして、色々格闘した結果、仲良くなるみたいな、その醍醐味が分かるみたいな、そういう少しマゾみたいな所があるのかもしれない。


分かりやすいものは、すぐ飽きられ、消費も早い。
分かりやすいお笑い芸人も然り、分かりやすい音楽も然り、色々然り。
分かりやすいというのは、客に媚びているとも言えるかもしれない。
いや、分かりやすいものが悪いと言っているのではなく、事実、そのようなものは衰退も早いよね、ということだ。
でも、難解過ぎたり、伝え方が周りくど過ぎるものは、そもそも享受される前に投げ出される可能性があるので危険でもある。
そういう無茶苦茶アーティスティックな、イミフの権化みたいなものが僕は好きなのではなく、難解さと分かりやすさが良い按配のコンテンツが好きなのだと思う。
まあ、あと僕は単純に飽きっぽいので、なるべく飽きがこない、長く楽しめるコンテンツが好きというのもあるのだろう。

つまり僕がなにを言いたいのかといえば、別になにを言いたいわけでもなく、強いて言うのならば、音楽や本や笑いや諸々コンテンツ的なものって素晴らしいよねってことくらいだ。

あと、コロナ禍が本当に早く収束してほしいと思います。
支離滅裂ですみません。
終わります。ありがとうございました。