ハイハイで散歩中

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サブスクリプションとコロナ禍の世界

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最近はもっぱらサブスクリプションで音楽を聴いている。
そして先日、自分なりに、サブスクの良い面と、悪い面に実感を伴って気が付いた。

・良い面・・・数多とある新旧様々な楽曲を、気軽に、自分の好きなだけ享受できる。

・悪い面・・・あまりにもお手軽に次から次へと楽曲に触れることができるので、一つのアーティスト、または一つの楽曲に対する滞在時間や姿勢が希薄なものとなる。
(あくまで僕個人の感覚なので、上記のように思わない人もいるかもしれませんが、それは悪しからずです)


学生の頃は、CDを買い、そしてディスクをCDプレーヤーやコンポに入れ、歌詞など載っているブックレットを見ながら、ちゃんと腰を据えて、そのアーティスト、楽曲と向き合っていたと思う。
あまりお金も無いので、バンバンCDを買うことができず、必然的にそのCDへの滞在時間は長くなり、そのアーティストへの想いの馳せ方も濃いものとなった。

しかし今や、気になったアーティストがいれば、1960年代だろうが2020年代だろうが、すぐさまその楽曲に触れることができる。
節操なく、もう取っ替え引っ替えってやつだ。

だがあまりにも色々聴きすぎているので、最近耳疲れしてきてしまった。
情報があまりにも多い。
少し前に聴いていたアーティストのアルバムの中の一曲でさえ、思い出すことが困難になる。
今、頭の中にふとした時にリフレインしてくるのは、「レディオヘッド」と、「くるり」くらいなもんだ。


Kid A


少し話しは逸れるかもしれないが、今まさに人々を悩ませているコロナ禍問題にしたって、その情報の多さに疲弊してくる。
毎日のように、テレビやネット、またはSNSなどで、色々な立場の、色々な人が、色々な意見や情報を発信している。
しかもまだまだ輪郭が見えてこないウイルスであるから、余計に情報は玉石混淆とし、氾濫の一途をたどっている。


先日、外出の帰り、同じアパートの住人と鉢合わせた。
僕はこんなご時世故に、挨拶しようか躊躇ってしまった(今思えば、どんなご時世だという話だが)。
そしたら、向こうから、「こんばんわ」と、気持ちよく挨拶してくれた。
僕もできるだけ気持ち良く挨拶し返した。
僕は気分が高揚したと同時に、恥ずかしくもなった。
僕はなにをウジウジしていたんだろう。


今は積極的に外に出よとは言えないけれども、リフレッシュするために、ランニングや散歩はやはり重要だと思う。
毎日発信されるメディアの情報に一喜一憂するだけでなく、外に出て、歩きながら、自然に自分の中から出てくる言葉や思いに馳せることをしたい。

つまり、メディアからの情報に受動的になるばかりでなく、根底を見つめればどこからかの借り物に過ぎないかもしれないが、それでも自分の中から出てきた言葉だと、自分で考えて能動的に出できた言葉だと思い込める作業は、時にリフレッシュになり、世界を瑞々しくさせることだろう。


僕はまた懲りもせずにサブスクで音楽を聴き、Twitterで情報を浴びるだろう。
進歩的で実用的で便利なものに抗うことは困難だ。
だが、無理してそれらに抗う必要もなく、重要なのは、それらとどうやってうまく付き合っていくかだと思う。
時に受動的に享受し、時に能動的に高揚する。
要はバランスですね。

「くるり」久々に聴いたらとても良かったな。

ではまた!